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名言・語録・格言

名言の王国へようこそ

                            【人名検索】調べたい人名で検索できます。収録人数3971。収録語録数21867(2018年9月6日現在)

武田邦彦語録

武田邦彦語録5件
(工学者)


「いまから3000年ほど前、世界では古代エジプト時代、日本では縄文時代のころ、気候はかなり温暖で、東北地方でも青森県の三内丸山遺跡のような大型の遺跡が見つかっています」


「この遺跡は、当時の海岸線から近い小高い丘の上にあり、吹雪に閉じこめられるような気候では、とても住めない場所にあります」


「それから徐々に気温は下がって、起元数世紀になると寒冷な時代に入ります」


「世界的には、ヨーロッパの北方に住んでいたゲルマン民族が食料不足に陥り、他民族の圧迫もあって、当時、繁栄を誇っていたイタリアのローマ帝国に襲いかかりました。歴史的に名高い『民族大移動によるローマ帝国の崩壊』ですが、寒冷な気候の人たちは生活ができなくなり、民族全体が移動せざるをえなかったのでしょう」


「日本でも、聖徳太子の時代に渡来人が増えた理由の一つに、アジアの北方が寒冷化したからだとも言われています」


経歴(プロフィール)
■武田邦彦(たけだ・くにひこ)
日本の研究者。工学者。中部大学総合工学研究所特任教授。1943年6月3日生まれ。東京都出身。東京大学教養学部基礎科学科を卒業。旭化成工業に入社。ウラン濃縮等の研究開発に携わり、1986年に論文「複合イオン交換反応系の理論と分離技術への応用」により東京大学から工学博士の学位を取得
  1. 2018/10/27(土) 09:44:57|
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前橋汀子語録

前橋汀子語録14件
(バイオリニスト)


「バイオリンを始めたのは4歳の時」


「目白にあった自由学園幼児生活団に入ったのがきっかけだった」


「5歳の頃、母に手を引かれて小野アンナ先生のお宅を訪ねた」


「人生最初の大きな転機だった。アンナ先生は帝政ロシアの貴族出身で、革命の混乱を逃れて来日したバイオリニストだ」


「アンナ先生は帝政ロシアの貴族出身で、ロシア革命の最中に動物学者の小野俊一さんと結婚し、混乱を逃れて1918年に来日した」


「アンナ先生のレッスンは厳しく、うまく弾けないと『ここ50回弾きなさい。ここは100回』と容赦なく宿題が出る」


「小野さんはジョン・レノンの妻、オノ・ヨーコさんの伯父にあたる」


「私には特別な才能はなかった」


「私がソリストとして今に至るのは、多くの方の導きと奇縁ともいうべき不思議な出会いに恵まれたからだ」


「例えば、小学生の頃に日比谷公会堂で私の頭をなでてくれた『バイオリンのおじさん』は、後に師事することになるヨーゼフ・シゲティ先生その人だった」


「私の人生を変えたともいえるコンサートがある。1955年2月に初来日したソ連の世界的なバイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの公演だ」

「日比谷公会堂の客席に陣取った私は小学5年生だった」


「あんなバイオリンの演奏は聴いたことがなかった。大きな体と楽器が一体となった、ふくよかな響き。『楽器が体の一部みたい。バイオリンでこんな音が出せるんだ』。まさに衝撃だった」


「『ソ連で勉強すればオイストラフのように弾けるようになるかしら』。私の心に大きな火がともった瞬間だった」


経歴(プロフィール)
■前橋汀子(まえはし・ていこ)
日本のバイオリニスト。1943年12月11日生まれ。2004年、日本芸術院賞受賞。2007年、エクソンモービル音楽賞受賞。2011年6月、紫綬褒章受章。2017年4月、旭日小綬章受章
  1. 2018/10/06(土) 07:24:28|
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木野親之語録

木野親之語録8件
(松下電送代表取締役)


「私は松下電器産業創業者の松下幸之助から、生前いくたびか歴史をつくるためにも松下の経営理念を語り継げといわれていました」


「松下幸之助から40年余の教えを通して得た私の結論をひと言でいえば、『経営の究極は人間学にある』ということだと思っています」


「私は経営の神様といわれた松下幸之助との語らいで、数え切れないほどの生きた教訓を学ばせてもらいました」


「その結論から、これからの経営は、少なくとも人間の心の領域まで深く分け入らねば本物にならないことを知らされました」


「私は経営の究極は人間学にあると位置づけて、組織と人間との問題について真摯な研究が、いま何よりも急務であると考えるようになりました」


「松下幸之助のことを考えただけで血潮の高鳴りを覚えます。その人の温容はいつでも冬日の温もりを伝えてきます」


「企業経営で責任をとるというのは、自分に与えられた業務を100%果たすことに命を賭けることです」


「幸之助は裏千家の名誉師範で、茶道を極めた人です」


経歴(プロフィール)
■木野親之(きの・ちかゆき)
日本の経営者。東方電機(のちの松下電送、現・パナソニック コミュニケーションズ)代表取締役。NTTデータ通信 取締役相談役。大学在学中に松下幸之助の知遇を得て、松下電器に入社、直々に経営道を叩き込まれた。1926年、大阪府生まれ。神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)卒業。松下電器産業(現・パナソニック)入社。著書に『松下幸之助 叱られ問答』がある
  1. 2018/09/15(土) 21:58:06|
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鈴木茂晴語録

鈴木茂晴語録7件
(大和証券グループ本社社長CEO)


「女性活躍支援に取り組む会社は多いですが、一番重要なのは『本気度』です」


「私は社長に就任した2004年、全国の支店に足を運んで、現場を見て回りました。そして、数多くの非常に優秀な女性に会ったのですが、そこでは『昇進や給料などの評価で会社から期待されているという実感がない』『将来設計を描きづらい』『結婚や出産、配偶者の転勤によって会社を辞めざるを得ない』という声が数多く聞かれました」


「そんな女性社員達に、知識やスキルを蓄積したころに退職されてしまうのは会社にとっても大きな損失です」


「本人達にとってもせっかくのキャリアを失うことになりますからとてももったいない。ということで、その翌年の2005年ごろから、社を挙げて女性活躍支援に本格的に取り組み始め、様々な制度を導入してきました」


「まず、育児休職は子どもが3歳になるまで取得できるようにしました。最大1時間半早く退社できる短時間勤務制度は、小学校3年生まで利用できます」


「子どもが小学校に入るまでは、保育施設の費用も毎月2万円まで補助しています」


「少子化対策の一環として、第3子以降の子どもが生まれる職員には200万円のお祝い金を出しています」


経歴(プロフィール)
■鈴木茂晴(すずき ・しげはる)
日本の経営者。大和証券グループ本社取締役兼代表執行役社長CEO 大和証券代表取締役社長。大和証券グループ本社取締役会長。1947年4月17日生まれ。京都府京都市出身。京都府立洛東高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部卒業、大和證券入社
  1. 2018/09/12(水) 10:24:01|
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酒井綱一郎語録

酒井綱一郎語録9件
(記者、コメンテーター)


「日本の会計制度は長年、『取得原価主義』を採用してきました。取得時の価格で資産を評価する会計方法です」


「例えば、3億円で買った土地が5億円に値上がりしても、帳簿上は3億円のままです。貸借対照表の上では、値上がり益は反映されません。実現されていない値上がり益のことを『含み益』と呼び、その含み益を基盤にした日本独特の経営を『含み経営』と呼んだのです」


「取得原価主義の経営、含み経営が尊ばれたのは、短期的利益を求めるのではなく長期的視点に立った経営ができたからです。取得原価主義ならば、会社が持っている資産や負債をいちいち時価に直さなくて済みました」


「しかし、取得原価主義は本来はおかしな制度です。企業の業績は毎年変化しているのに、資産の価値は変らないからです。現在の資産価値とまったく違う価値が貸借対照表に記載されるのです」


「これでは、投資の時代に企業の価値を正確に評価できないということで、時価主義会計が遅ればせながら導入されたのです」


「取得原価主義の時代には、大きなビル、大きな工場用地を持っていることはいいことでした。『大きなことはいいことだ』です。ところが、時価主義会計になったら、固定資産を持つことは危険です。『大きなことは危険なことだ』なのです」


「ドラッカーさんの説明によれば、近代的銀行の先駆であるJPモルガンは、フランスの起業家的銀行とイギリスの商業銀行のコンセプトを統合する形で生まれたというのです」


「JPモルガンの誕生は、アメリカの資本主義の基礎をつくったともいえるのです。というのも、同行はGEや大手電話会社のAT&Tなどアメリカを代表する企業の設立に関わったからです」


「ドラッカーさんの博識ぶりには驚嘆させられました。明治維新で活躍した無名の志士たちの名前が次から次へと登場することさえありました」


経歴(プロフィール)
■酒井綱一郎(さかい・こういちろう)
日本の記者、コメンテーター、日経ビジネス発行人。1957年生まれ。鹿児島県出身。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業、スタンフォード大学プロフェッショナル・パブリッシング・コース修了。毎日新聞を経て日経マグロウヒル(現・日経BP)入社。NY支局長、2003年に日経ビジネス編集部長、ビジネス局長などを経て、日経ビジネスの発行人、同社取締役を歴任
  1. 2018/09/12(水) 08:13:03|
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