名言格言

名言の王国へようこそ

                            【人名検索】調べたい人名で検索できます。収録人数3909。収録語録数20985(2017年7月18日現在)

柳家権太楼語録

柳家権太楼(3代目)語録11件


「奇席ってえのは、あたしたち噺家(はなしか)の本拠地です」


「奇席で育った噺家が、奇席に恩返しをするのは当然のこと」


「あたしの落語の原点は、生まれ育った滝野川の町と住人たちです」


「東京都北区。今は静かな住宅街だけど、1950年代には、落語に出てくるような棟割り長屋があちこちにありました」


「東京・滝野川での小学校時代。あたしは落語より先に踊りを習い始めました」


「その稽古場の3軒先の娘が同級生で、後に浪曲師イエス玉川のかみさんになった」


「女優の倍賞美津子さんは小中学校とも一緒だった。友達は『かわいい子だ』と騒いでたけど、あたしにとってはガキの頃の遊び仲間ですよ」


「そんな環境で育ったら、落語しゃべるなんて特別でも何でもないことです」


「高校2年の文化祭。クラス対抗の出し物がなかなか決まらなかった。『先生、僕が落語やりましょうか?』『お前落語できるのか。やってみろ』」


「教壇に座布団敷いて、談志そっくりの『うそつき弥次郎』を演じたらバカウケ。クラス対抗は優勝でした。あたしはその時初めて気がつきました。『落語って、みんなができるわけじゃないんだ!』


「志望校は立教。池袋は地元だし、野球が強くて、学生がおしゃれ。あこがれの大学でした。でも、立教の試験問題と意見が合わず、2度も受験に失敗。結局明治学院に入りました」



経歴(プロフィール)
■3代目柳家権太楼(やなぎや・ごんたろう)
日本の落語家。出囃子は『金比羅』。 現在の落語界を代表する爆笑派。十八番の『代書屋』で知られる。一般社団法人落語協会監事。本名は梅原健治(うめはら・けんじ)。1947年1月24日生まれ。東京都北区出身。明治学院大学法学部卒業
  1. 2017/06/17(土) 09:06:06|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

野村旗守語録

野村旗守(ジャーナリスト)語録6件


「1990年代も後半に入ると、北朝鮮経済の逼迫はいよいよ断末魔の様相を呈してきた」


「とくに外貨不足は深刻で、中国やロシアから燃料や食糧を輸入できず、戦車は動かず、人民は餓死するというありさまだった」


「北朝鮮の対日政策がガラリと変わったのは、1990年9月の金丸訪朝団以降である」


「経済の逼迫により背に腹をかえられなくなった北朝鮮は、対日外交を徹底したリアリズムの方針に切り替えた。すなわち交渉相手を、同じく左翼イデオロギーを持ち友党関係にあったはずの日本社会党から、政権与党である自民党に乗り換えたのである」


「北朝鮮の狙いは、ズバリ、『マネー』だった。どんなかたちでもいいから一刻も早く日本の経済援助を引き出し、自国の経済を建て直したい。そのために、北朝鮮側がバラ撒いた『エサ』が利権である。効果は絶大だった」


「品格のない政治家たちが国益を忘れてこれに飛びついた。金丸以降も、日本政界の実力者たちがこぞって国交正常化交渉に動いた。1990年代は日朝関係が異常なほど急接近した10年だった」


※出典『北朝鮮の真相』


■注釈
北朝鮮の利権に群がったのは旧社会党やそれに類する左翼の人たちだけでなく、自民党の大物政治家の中にもいた。どういう人物が、どのような利権に群がったかを詳しく書いているのが、『北朝鮮の真相』である。北朝鮮の利権は、2002年に小泉首相が訪朝するまで続いたとされる。北朝鮮の利権を断ち切ったことは、小泉訪朝の大きな成果の一つといっていいだろう


経歴(プロフィール)
■野村旗守(のむら・はたる)
日本のジャーナリスト。朝鮮半島に詳しい。1963年生まれ。埼玉県出身。立教大学文学部史学科卒業。外国人向け雑誌の編集者を経て、フリージャーナリストとして独立。著書に『北朝鮮の真相』『北朝鮮送金疑惑―解明・日朝秘密資金ルート』などがある
  1. 2017/06/14(水) 11:58:03|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

小林一博語録

小林一博(ジャーナリスト)語録7件


「自民党は、野党を丸め込むために、普段から飲み食いさせ、贈り物攻勢をかけ、ときには麻雀に負けたふりをして現金まで配った。このための費用は内閣官房の機密費から実におうように流用された」


「社会党はそれまでも北朝鮮のテロや日本人拉致をムキになって否定し、北朝鮮の代弁者を務めてきた」


「社会党は、朝鮮戦争のあとから、『日朝の唯一のパイプ』を自称してきた。しかし、実態は北朝鮮の言いなりになっただけだった」


「金日成、金正日親子が、起死回生の策として考えたのが、核兵器と弾道ミサイルという大量破壊兵器の開発だ。それに巨額の資金を必要とする」


「ここから北朝鮮は、社会党一辺倒だった対日窓口を自民党に切り替える。ソウル五輪のあった1988年ごろのことだった」


「万年野党の社会党は、国会の内外で北朝鮮の代弁役を務め、北朝鮮に不利な政策を牽制するには役立ったが、政府から巨額の『カネ』を引き出す力量はない」


「田辺は、北朝鮮の了解を取ったうえで、『日本が唯一国交のない北朝鮮との硬直した関係を打開するのはあんたしかいない』と、金丸を口説いた」


出典『北朝鮮利権の真相』(宝島社)


■注釈
1990年9月、元副総理の金丸を団長として、田辺誠(日本社会党)らは北朝鮮を訪問した。金丸と金日成は、日本語を用いて差しで対談を行った。しかしやり取りが文書として残っていないため、一体何を話したのかは謎のままである。自民党の実力者であった金丸が訪朝するまでの経緯が、『北朝鮮利権の真相』を読むとよく分かる。金丸と田辺の関係は、家族ぐるみの付き合いであったことを、金丸は著書『立ち技寝技(私の履歴書)』で書いている


経歴(プロフィール)
■小林一博(こばやし・かずひろ)
日本のジャーナリスト。朝鮮半島の専門家。東京新聞論説委員。1940年、北朝鮮で生まれる。早稲田大学第一法学部卒業。中日新聞社(東京新聞)入社。大垣支局、川崎支局、社会部などを経て、政治部で首相官邸、自民党、防衛庁などを担当。この間、ソウル特派員を2回。初めての南北離散家族再会、板門店での南北会談などを取材。1991年に論説委員。政治、朝鮮半島を担当
  1. 2017/06/12(月) 21:54:57|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

谷口吉生語録

谷口吉生(建築家)語録11件


「建築の設計は個人の創造力によるものであるが、建築家一人で実現はできず、技術コンサルタント、私の研究所のスタッフ、そして現場での多くの施工担当者との協働が不可欠である」


「こうした人々に支えられながら、ひたすら建築を造り続けてこられた」


「建築は工学と美学の結晶であり、大勢の人と共に作りあげる芸術でもある」


「ハーバードのあるケンブリッジや隣接するボストンは知識人が集まるリベラルな町。夏期講習に通ったコロンビア大があるニューヨークはまさに異なる人種の混合」


「東京大学本郷キャンパスの7号館。米国から帰国した私は1965年、工学部都市工学科教授の丹下健三先生を訪ね、研究室に入れていただいた」


「日本と米国で8年間を大学で過ごし、再び大学に戻ることにはためらいもあった」


「しかし、当時の大学院はプロフェッショナル集団で、とりわけ丹下研究室は東京五輪で代々木の体育館を設計、後に大阪万博の計画をするなど国家的プロジェクトに参加していた」


「共産主義下の旧ユーゴでは労働時間や業務上の指示系統も厳密に決められていて、鉛筆一本まで管理される」


「ところがデスクの上の丹下さんのスケッチだけはよく行方不明になった。丹下健三の名声はこの国にも届いていたのだ」


「徹夜になることも度々あったが、建築に没頭し始めた私はまるで苦痛に感じなかった」


「彫刻家は彫刻そのものを作っているのではない。彫刻を置くことで『場所』を『空間』へと変えるのだ」


経歴(プロフィール)
■谷口吉生(たにぐち・よしお)
日本の建築家。東京藝術大学客員教授。日本建築学会賞作品賞2度、吉田五十八賞、高松宮殿下記念世界文化賞など多数受賞。1937年10月17日生まれ。東京都出身。慶應義塾大学工学部機械工学科卒業。ハーバード大学建築学科大学院修了。1965年~1974年、東京大学都市工学科丹下健三研究室および丹下健三都市・建築研究所
  1. 2017/06/09(金) 21:12:00|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

高橋愛子語録

高橋愛子語録7件
(住宅ローン問題支援ネット)


「災難は忘れたころにやってくる」


「日本では、毎年6、7万人もの人が競売で自宅を失っています。小さな市の人口に相当するくらいのたくさんの人たちが、幸せの絶頂から地獄へと、まっさかさまに突き落とされていることになります」 


「住宅ローンの連帯保証人は、一度なったら外すのが非常に困難です。完済するか、借り換えをするか、自分よりも条件のよい人を代わりに立てるかしかありませんが、代わりの人にするのも貸し手の同意が必要で、いろいろと厄介です」


「任意売却は時間との勝負です。限られた時間の中で、いかに良い方向に解決していくかが重要なのです」


「そもそも住宅ローンというのは、国がみんなに家を買わそうとして導入している制度です。なぜ国民に家を買わせたかというと、それで経済が活性化するからです」


「戦前の日本は、家といえば賃貸住宅がふつうでした。文豪といわれた人たちの多くが借家住まいだったことからも明らかなように、かなりの収入がある人でも賃貸住宅に住むのは自然なことだったのです」


「中小企業金融円滑化法は2013年3月で終わりますが、法律が終わるだけで、ほかの打開策や解決策は必ずあります。必要なのは、正しい知識と知恵を与え、意識を変える相談窓口だと思います」


※出典『住宅ローンが払えない!と思ったら読む本』


■注釈
毎年6、7万人もの人が競売で自宅を失っているという。また、自宅は失わないまでも、住宅ローンの支払いで苦しい生活を強いられている人はもっと多いだろう。そんな人達にとって闇に光を当ててくれるのが、高橋愛子の著書『住宅ローンが払えない!と思ったら読む本』である。この本には住宅ローンの支払いに行き詰った時に、どう対処すればいいかが具体的に示されている。絶望が希望に変わる書といえる


経歴(プロフィール)
■高橋愛子(たかはし・あいこ)
「住宅ローン問題支援ネット」の代表。1979年生まれ。渋谷女子高等学校卒業。日本大学卒業後、小さな不動産賃貸会社に入社。5年間店長として、賃貸管理業、賃貸仲介業を行う。任意売却業務の専門家としての道を歩む。2007年、住宅ローンの支払いに苦しむ債務者を対象に、任意売却を専門とした不動産コンサルタント会社を設立
  1. 2017/06/08(木) 23:04:35|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ 次のページ