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金栗四三語録

金栗四三(マラソンの父)語録12件


「体力、気力、努力」
■注釈:金栗の墓碑に刻まれている言葉


「とても暑い日でした。折り返し地点を回ってから、復路の途中で私は意識を失い倒れたのを、近くの人たちが助けてくれたのです」
■注釈:日本人初のオリンピック選手として、第5回ストックホルム大会に出場した金栗であったが、レース途中で倒れゴールすることが出来なかった


「長い道のりでした。この間に嫁をめとり、子供6人と孫が10人できました」
■注釈:第5回ストックホルム大会(1912年)に金栗は出場したが、レース途中で倒れた。それから55年後にストックホルムに呼ばれ金栗はゴールインした。そして会場にアナウンスが流れた「日本の金栗四三選手、ただいまゴールインしました。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」。そしてさらに「これをもちまして、第5回ストックホルム・オリンピック大会の全日程を終了致します」会場は拍手に包まれた。「ゴール」した後の金栗のコメントが上の名言である。会場は大きな笑顔とより大きな拍手に包まれた


「振り返ってみてよい経験をした。マラソンというのは耐久力ばかりではだめだ。スピードもいる」


「練習は細心に、競走は大胆に」


「規則正しき生活をなせ」


「感情の昂奮を抑へ、精神の平静を保て」


「全身の強健を計り忍耐力を養え」


「酒、煙草の類は必ず厳禁せよ」


「1912年のマラソンに失敗してからは、次のベルリン・オリンピックで仕返しをしようと、懸命に頑張りました。厳しい練習を重ねました。しかし、戦争のため大会は中止。あと2回のオリンピックに挑戦したが思ったような成績が出せず、とても残念でした」
■注釈:金栗はオリンピックでは、満足の行く結果を出せなかったが、その後、指導者として花を開かせた


「人は一生走る楽しみを忘れんよう、走りんしゃい」


「私は、オリンピックで、ついに優勝ばできんかったとじゃ。ばってん、あの第5回ストックホルムの大会に出場したオリンピック選手は、みな、亡くなってわし一人になったとじゃ、長生き競争には、わしが一番たい。はっはは」
■注釈:金栗は92歳の時に入院する。教え子が、ぞくぞくとお見舞いに来たが、このように笑い飛ばした


※参考文献
『箱根駅伝に賭けた夢 消えたオリンピック走者』
『マラソンの父・金栗四三 走ったぞ!地球25万キロ』


経歴(プロフィール)
■金栗四三(かなぐり・しそう)
【1891年~1983年】日本における「マラソンの父」と称される。マラソン足袋で当時の世界記録を出し、短距離の三島弥彦と共に日本人初のオリンピック選手となった。熊本県出身
  1. 2017/04/13(木) 21:58:03|
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宋光彦語録

宋光彦(満州開拓団団長)語録6件


「(土地の)買収に当っては予め地主及び先住民によく諒解させる事と相当価格を以って買収する事とは問題の種を作らない主要条件である」


「開拓事業の邪魔にならぬ限り先住民の立退を緩に当分開拓地内に在住を許す」


「当分開拓地に居住を許す以上彼等を開拓地行政の統制下に置き、生活の途を与え且つ、安住し得るように保護してやる」


「先住民を他所に移す場合は交換地の世話をしてやる」


「満州開拓の目的を要約すれば、日本国家社会の安定、日本民族の大陸発展、満州国国礎の盤石、満州国国民の福祉増進、東洋平和の確立、に帰結することができる」


「日本農民が満州国の津々浦々に至るまで入植し、満人と協和しつつ農業的発展をなし、生活の安定を得るとき、満人もともに幸福を享受し、いわゆる王道楽土が実現され、満州国の国力は充実し、東洋永遠の平和が確立するのである」


出典『北満開拓地農業経営論』


■注釈
宮家邦彦(外交評論家)の母方の祖父・宋光彦は満州開拓団の団長を務めた。そして開拓団関係者のために、満州開拓の入門書となる『北満開拓地農業経営論』を書いた

宋光彦は軍国主義者ではなく、農業の専門家である。先住民に対して多大な配慮をしていることや、日本および満人の幸福を願い、真の東洋平和の確立を目指していたことが分かる

先住民にとっては、ありがた迷惑なことであったであろうが、当時、どういう気持ちで日本から満州に渡っていったのかが分かる貴重な証言の一つといえるだろう


経歴(プロフィール)
■宋光彦
農業の専門家。満州開拓団の団長を務めた。1938年に満州開拓の入門書『北満開拓地農業経営論』を当時大連にあった満州日日新聞社支店から発行した。孫は、外交評論家で、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦
  1. 2017/04/09(日) 21:24:45|
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永田晴紀語録

永田晴紀(宇宙の研究者)語録8件


「『宵の明星(よいのみょうじょう)』とも言われている金星を、日本では『夕星(ゆうづつ』と読んでいました。清少納言も金星の美しさを書いています)


「太陽もひとつの恒星です。では、銀河系には太陽のような恒星はどのくらいあるのでしょうか?ざっと2千億から4千億あるといわれています」


「日本の国旗の赤い丸は『太陽』です。太陽が昇る国ということからきたものです」


「光の速さを『光速(こうそく)』と呼びます。今一番速いものは、この光速です。1秒間でおよそ30万キロも進みます」


「ブラックホールは、強烈な引力を持っていて、一度吸いこまれたら光でさえ脱出できない宇宙の墓場のような超重力地帯です」


「地球は青い惑星です。地球に住んでいるのでどこが青いかは分かるはずです。青いのは空です。海が青く見えるのは空の色が映っているからです。海の水をくみ上げても青くはありません」


「ハレー彗星は一番有名な彗星です。このハレー、実は人の名前です。ニュートンと同じ時代に天文学を勉強していたエドモンド・ハレーという人の名前がついています」


「地動説は、地球が太陽のまわりを回っているという考え方です。14世紀の後半から『地球は太陽のまわりを回っているのではないか』という地動説の考え方が少しずつ広がってきます。ただ天道説は大きな力を持つローマ帝国に支持されていて、地動説を唱えることは禁止されていました」


出典『楽しく学べる!宇宙のことが分かる本』


■注釈
著書『楽しく学べる!宇宙のことが分かる本』(メンツ出版)は、宇宙や地球の基本的な知識を身につけるのに適した書物といえる

銀河系や太陽、惑星、ブラックホール、彗星など、宇宙全般にかかわることを分かりやすく解説している名著といえる


経歴(プロフィール)
■永田晴紀(ながた・はるのり)
日本の研究者。北海道大学工学(系)研究科(研究院)教授。2008年、日本航空宇宙学会 日本航空宇宙学会賞(技術賞)
  1. 2017/04/08(土) 21:41:41|
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大岡信語録

大岡信(詩人)語録7件


「中国では桃季梅杏が愛される木の横綱ですね。いずれも白または紅系統の、桜よりは鮮やかな感じの花が咲く上、盛大に実がなるものばかり」


「日本では、梅は万葉時代には非常に愛されたのに『万葉』から『古今』に至る間に梅と桜の位置は大逆転してしまった。以後、花といえば筆頭は桜です」


「オミナエシのような、優美な感じのする草花が大変愛される。紀貫之なんか随分この花の歌を作っていますね」


「クモの糸は、雨がかかって露がキラキラしているところが美しい、というような把え方もあるけれども、それより風に破れやすくてはかないところに一種の美がある」


「日本という国は、外国との接触で文明が入ってくると、ある時期、相当期間にわたって門戸を閉ざし、外から得たものを内部で熟成して別のものにするという装置がうまく出来ていた国ですね」


「あの人(紀貫之)の歌の作り方には規範性がある。中国の詩格を念頭に置きつつ、しかし物真似ではない、日本独自のものを作ってやろう─という意識で中国と日本をミックスしていった」


「ミックス名人が紀貫之であり、日本人の自然を見る新しい目がそのまま詩になってくる、という時代は、彼の時代から出発するのだと思います」


出典『詩歌歴遊 大岡信対談集』


■注釈
牧野和春の『桜の精神史』(牧野出版)によると、万葉集に詠まれた花の種類では、桜は梅の三分の一に過ぎないという

ところが、梅は日本に自生していたものではない。桜が日本でも山野に自生していたのに対し、梅は中国から渡来したものである。いわば舶来の文明の象徴のように見られ、「大陸の珍花として貴族たちにもてはやされた」のだろう

歌を作るのが主に貴族であったことを考えると、ありふれた桜よりも梅が歌に詠む対象にされたことは頷ける

しかし、大岡が指摘しているように、『万葉集』から『古今和歌集』に至る間に梅と桜の位置が何故、大逆転したのかは謎である。今後の研究課題としたい


経歴(プロフィール)
■大岡信(おおおか・まこと)
【1931年~2017年】現代日本を代表する詩人で、古今東西の詩を論じた著作でも親しまれた。評論家。東京芸術大学名誉教授。1995年、日本芸術院賞・恩賜賞受賞。1931年2月16日、 静岡県の現三島市で生まれた。東京大学文学部国文科卒業
  1. 2017/04/06(木) 21:41:40|
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朴正煕語録

朴正煕語録10件
(第5~9代大韓民国大統領)


「資源も資金もない我が国が食べて行く道は、人間が行う科学技術研究しかない」


「みな貧乏暮らしをしている時代で、恥ずかしいということはなかったが、貧乏についていろいろと考えるところがあった。なぜ自分たちは貧しいのかと何日も悩んだ。結局、家族の貧困はつまりは民族の貧困だと悟った」


「日帝時代だから、国を奪われた悲しみは言うまでもないが、わが民族が胸を張ってよい暮らしができる世の中を夢見るようになった。貧しい中で、一生懸命勉強したのも、かなえたい夢があったからだ」
注釈:日帝時代は日本統治時代をさす


「これまで、国民に仕事を十分に与えられなかったせいで、外国からは韓国人が酒と博打が好きで、怠け者だと見られてしまった。だが、絶対そんなことはない。昔から我が民族は非常に勤勉で高潔な精神を持っている」


「日帝時代に国を奪われた悲しみは、私たちの世代に大きな根を残した。若者が徴兵されるのを無力に見ているしかなかった苦痛は言葉にならない」
注釈:朝鮮半島は1944年に徴兵制度が施行された


「朝鮮戦争のような悲劇が起こったのも、国力が弱かったせいだ」


「朝鮮半島から戦争の恐怖をなくし、我が民族の中興を成し遂げるためには、外交が重要だ。常に国益を最優先に考えねばならない」


「おまえが立っている場所はとても重要な場所だ。母さんのしていた役割を務めるあいだ、一日も心穏やかに休むこともできない。そんな覚悟でなければ国を動かしていく資格はない。国民のため、おまえのできることが何であるか、常に考えなさい」
注釈:妻が暗殺され、次女の槿恵(クネ)がファーストレディーになったのが22歳の時。娘にこのように言葉をかけた


「槿恵(クネ)、覚えておきなさい。防衛産業を見れば、その国の産業の水準がわかる。防衛産業が一国の産業の尺度になるということだ」


「防衛産業は自主防衛のためにも必要だが、これを基盤に自動車輸出、戦車の生産など、他国に左右されず、自国の技術で全てできるようになる。防衛産業や重工業発展、総合製鉄所建設が、今は実力以上のものであっても、近い将来、我が国の生きる道を開き、国力を伸長させる武器になるだろう」


出典『朴槿恵 自叙伝』


■注釈
語録からも分かるように、朴正煕(パク・チョンヒ)が一番したかったことは、貧しい韓国を経済発展させ、国を裕福にすることであったろう

彼の時代に『漢江の奇跡』と呼ばれる高度経済成長が実現され、韓国は世界最貧国の層から脱し、その目的は達成できた

しかし、『漢江の奇跡』は日本とアメリカによる膨大な経済および技術援助があってこそ、成し遂げられたことも付記しておく



経歴(プロフィール)
■朴正煕(パク・チョンヒ)
【1917年~1979年】大韓民国の軍人、政治家。職業軍人だったが、1961年の軍事クーデターで国家再建最高会議議長に就任し、1963年から1979年まで大統領(第5代から第9代)を務めた。暗殺される。次女は第18代大韓民国大統領の朴槿恵(パク・クネ)
  1. 2017/04/04(火) 23:09:33|
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