名言格言

名言の王国へようこそ

                            【人名検索】調べたい人名で検索できます。収録人数3848。収録語録数20323(2017年1月23日現在)

平生釟三郎語録

平生釟三郎語録全7件



「自分の専門以外のことにも興味を持ち、広い健全な常識を養うことこそ紳士たるものの条件のひとつである」


「健全なる常識を持った、世界に通用する紳士たれ」


「単なる知識の詰め込みであってはならない。第一に、立派な人格教育を施さなければならない。第二に、健康な肉体の持ち主をつくらなければならない。第三に、人間はそれぞれ天賦の才能を持っているから、画一的な教育は避け、個性を尊重しなければならない」
注釈:教育者、釟三郎の教育観。


「ご厚意は感謝します。しかし、他日、自分が三井物産で成功し、高い地位に就くことができたとしても、苦境にある東京海上を見捨てて、一身の栄達を計ったといわれても弁解できません。私は東京海上の再興のために全力を尽くしたい」
注釈:三井の益田社長はかつて東京海上の総支配人だった弟を助けるために、釟三郎に強く東京海上入社を求めた一人であった。その東京海上が苦境に陥り、釟三郎に申し訳ないという責任感から三井に誘ったが釟三郎はきっぱりと断った。


「自分が13歳のとき、家が逼塞(ひっそく)し、ついに庭にあった樹齢数百年という公孫樹(いちょう)の大木を切って売った。ところが、その切り株から新芽が出て、数年にしてまた銀杏(ぎんなん)が採れるようになった。これは新しい種から成木になるよりはるかに早い。東京海上も今は切り株のようになってしまったが、根がある以上、必ず近い将来、復活できる」
注釈:住友に来ないかと誘った学校の先輩に対しても有り難く辞退をした。この時の心境を、自伝にこのように記した。


「余が今日あるは、まったく国家が余をして、その費用を持って高等教育を得さしめたるが故である。然(しか)るに、余は、今や物質的に常人以上裕福なるにもかかわらず、この鴻恩(こうおん)に対して何らの報恩をなさざることは、実に国家に対して忘恩の行為である」
注釈:この報恩の精神こそが、釟三郎の奉仕活動の原点とされる。


「ヒットラーの如きゴロツキと結んではならぬ」
注釈:後に日独伊軍事同盟となる日独防共協定が結ばれた。そんな雰囲気の中、甲南高等学校の朝礼でこのように講話した。


関連サイト
平生釟三郎の知られざる逸話 
http://bit.ly/NCDsyN


平生釟三郎(ひらおはちさぶろう)経歴 (プロフィール)
慶応2年~昭和20年(1866年~1945年)日本の実業家、教育者、政治家。 美濃国加納藩(現・岐阜市)生まれ。 高等商業学校(現・一橋大学)を首席で卒業。高等商業学校付属主計学校助教諭 、 兵庫県立神戸商業学校(現・兵庫県立神戸商業高等学校)校長を経て、1894年、東京海上保険(現・東京海上日動火災保険)に入社、同社再建に貢献。1933年、川崎造船所(現・川崎重工業)社長。貴族院議員、文部大臣、日本製鐵(現・新日本製鐵)会長などを歴任。現・甲南大学・甲南高等学校・中学校、甲南病院なども設立した。
スポンサーサイト
  1. 2012/07/07(土) 08:03:31|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<源義朝 最期 | ホーム | 宮内義彦語録>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://meigennooukoku.net/tb.php/741-82872465
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)