名言格言集

名言の王国へようこそ

【人名検索】調べたい人名の一部もしくはキーワードで検索できます。

小佐野賢治(国際興業創業者)語録

小佐野賢治(国際興業創業者)語録全2件



「わたしのような若造が、大それたことをとお叱りを受けるかもしれませんが、天下の五島さんが強羅ホテルを手放されるということは、よほどお金が大変だったのでしょう。ついては、5百5十万円で買わせてください。わたくしのご挨拶の手みやげ代わりです」
注釈:東急グループの創業者、五島慶太は組合対策資金を捻出するのに困り、ついに強羅ホテルを売ることを決意した。そのホテルを買いに来たのが若干28歳の小佐野賢治であった。五島の売値は5百万円であった。普通であれば少しでも値切ろうと交渉するのが商売人であるが、小佐野は逆に挨拶代わりにと5十万円多く出した。これには五島が度肝を抜かれた それから直ぐに強羅ホテルの売買契約は成立する。この一件以来、五島は小佐野を太閤秀吉、いや木下藤吉郎の生まれ変わったような男といい可愛がった。五島の心を捉えることに成功した小佐野はその後、五島の知遇を得ながら事業を大きく発展させることができた。



「新しい事業をやるときは、それまでやってきたこととまったく関係のないことに手を出したら駄目だ。かならず失敗する。それまでの事業の延長線上にあるものにしか、手を出してはいかん」
注釈:小佐野は、自動車部品販売、バス会社、ホテル、レジャー開発など、手広くやってきたが、すべて関わりのある事業ばかりであった。


関連サイト
小佐野賢治の知られざる逸話
http://bit.ly/AtFPzX


小佐野賢治(おさのけんじ)経歴(プロフィール)
1917年~1986年(大正6年~昭和61年)国際興業創業者。山梨県東山梨郡山村(現・甲州市勝沼)で農家の長男として生まれる。生家は非常に貧しく、幼いころは自宅さえもなく村の寺の軒先を借りる生活であったといわれる。小学校へ入学すると家計を助ける為に、毎朝午前3時に起床して新聞配達を行っていた。昭和8年、小学校卒業後、上京して自動車部品販売店へ就職。昭和15年東京で自動車部品業を創業。昭和20年熱海ホテル、山中湖ホテル、強羅ホテルを次々に買収。昭和21年東都乗合自動車(現・国際興業バス)を五島慶太から譲り受ける。昭和36年山梨交通会長に就任。昭和41年富士屋ホテルの経営権を握る。昭和44年十和田観光電鉄買収。昭和48年シェラトン・パレス・ホテルを取得。昭和49年シェラトン・ワイキキ、ロイヤル・ハワイアン、シェラトン・マウイの3ホテル取得。昭和51年ロッキード事件により衆議院予算委員会で証人喚問。昭和60年帝国ホテル会長に就任。70歳で没。


スポンサーサイト
  1. 2011/10/04(火) 22:08:14|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<豊田章一郎(トヨタ自動車名誉会長)語録 | ホーム | 豊田喜一郎(トヨタ自動車工業創業者)語録>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://meigennooukoku.net/tb.php/69-82d08c0f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)