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西園寺公望語録

西園寺公望内閣総理大臣(第12・14代)語録全2件



「どうも怪しいぞ、人には言えぬが、どうも日本の陸軍あたりが元凶じゃあるまいか」
注釈:張作霖の爆破事件が起こり、その報道が新聞に出ると、秘書の原田熊雄にこのように語った。事件直後、日本の政・軍界の中央部にも宮中にも日本軍の謀略を疑った者はほとんどいなかった。最初の新聞報道で元凶を日本陸軍と直感した西園寺の政治感覚は、追随する者がいないほど的確であったといえる。


「いろいろやってみたが、結局、人民の程度以上にはならなかった」
注釈:晩年は何度も政党の「低調」を嘆いた。フランス留学から帰国して以来、西園寺は「文明」を目指す啓蒙的政治家であったといえるが、この呟きには啓蒙の努力が報われなかった無念さが滲み出ている。



関連サイト
歴代総理大臣語録一覧
http://bit.ly/wBersx


西園寺公望(さいおんじきんもち)経歴(プロフィール)
1849年~1940年(嘉永2年~昭和15年)内閣総理大臣(第12・14代)、政治家、公卿。京都生まれ。清華家の一つ徳大寺家の次男として誕生。戊辰戦争に参加。明治4年、フランス留学。滞仏10年ののち帰国し明治法律学校を設立。東洋自由新聞を創刊。オーストリア、ドイツ、ベルギー各国の駐在公使などをつとめる。帰国後、賞勲局総裁、枢密顧問官など経て、文相、外相を歴任。明治33年、枢密院議長。明治36年、立憲政友会総裁。明治39年首相となり、以後、桂太郎と交互に首相をつとめた。大正8年、パリ講和会議の全権委員。大正9年、公爵。最後の元老として大正末期から昭和初期にかけて、後継首相推薦の任にあたった。享年92歳。
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  1. 2012/02/09(木) 22:15:46|
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