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モフタル・リアディ語録

モフタル・リアディ語録20件
(リッポー・グループ創業者)


「私はかつて銀行の経営者だった。青年時代にインドネシア独立運動に身を投じ、共産主義に傾倒した時期もある」


「私のビジネスの成功も危機も実はインドネシアのその時々の状況を映したものだ。私はときに時代の流れに先んじ、ときに時代の奔流に流されかけながら事業をつないできた」


「インドネシアは1949年12月末に独立の承認を勝ち取り、1950年から独立国家として正式に歩み出した。この国の独り立ちは私の独り立ちとぴたりと重なる」


「私は1929年5月、オランダ領東インドのジャワ島で生まれた。そのころインドネシアという名前の国はまだ存在していなかった」


「そのころ中国は戦乱の時代だった。南京に国民党政府があったとはいえ、実際は各地の軍閥がなお力を持っていた」


「福建省でも武装勢力がはびこり、北側の軍と南側の軍が押したり引いたりを繰り返していた」


「軍隊が近づけば村人は山に逃げた」


「山の墳墓のなかに隠れて軍隊がいなくなるのをじっと待った」


「夜になると出没する土匪(どひ)と呼ばれる強盗集団も恐ろしかった」


「祖母はいつもそばにいて危険から私を守ってくれた」


「祖母が私のそばにいるかぎり、だれひとりとして私を叱ろうとしなかったほどだ」


「あるとき祖母は私をお寺に連れていった。静寂に包まれたその場所で祖母は語り出した。『おまえのふるさとはこんなに美しいが、村人はみんなとても貧しい。村人が豊かになれるような能力を持っていないからだ。おまえは外国へ行って何かを身につけて帰っておいで。そして村のためになることをするのだよ』


「そのときの祖母の真剣な語り口は今でもはっきりとおぼえている。祖母は私に『孫よ、おまえは帰ってくるために家を出るのだよ』と言い聞かせた」


「もちろん子供の私には祖母の言葉の持つ意味は分らなかった。大きくなってからでさえ祖母の言葉の真意はつかめなかったが、『帰ってくるために家を出る』という言葉は脳裏に焼き付いた」


「中国から出国した華人華僑と呼ばれる人々は人とのつながりを大切にして生きた。とりわけ重視したのは血縁と地縁だ」


「知らない土地でよそ者の華人華僑が生き抜いていくためには、血のつながる者同士、故郷を同じくする者同士が助け合うほかなかったからだ」


「父は毎月のように興化の祖母のもとへとお金を送っていた。祖母が亡くなってからも故郷に戻った弟のために送金を続けた。家族の絆の強さを感じずにはいられない。同じふるさとを持つ人々とのつながりも強かった」


「日本軍の一般兵士には乱暴な人もいたと聞くが、私が出会った日本軍の将校はみんな礼儀正しかった。将校からは『君は漢字がかけるのかね』と聞かれたものだ。日本語はしゃべれなくとも漢字を使って将校らと筆談ができた」


「スハルト体制で民間企業の活動領域は広がった。新体制で急成長していたサリムグループと銀行ビジネスで組むことになった。総帥のスドノ・サリム(林紹良)は高等教育を受けていなかったが、優れた知性を備えていた。どの事業でもふさわしい人物を探し出し、その人物に委ねた」


「土地開発事業は土地を売るだけの不動産業者であってはならない。土地という資源をどう開発し、付加価値を増やすかに事業の本質がある。製造業でいえば土地は原材料であり、原材料を使って何を作り出すのかで価値が決まる。その価値を売るのだ」


経歴(プロフィール)
■モフタル・リアディ
インドネシアでリッポーという企業を創業し、アジアから米国に広がるグローバル企業に育て上げた。リッポー・グループはインドネシアの華人財閥では5指に入る。1929年5月12日、インドネシアで生まれる。中国名は李文正
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  1. 2018/05/03(木) 06:12:33|
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