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白洲正子語録

白洲正子(随筆家)語録13件


「平安時代に発達した香の世界は、もしかすると、日本の文化の中では最高のものだったかもしれない」


「色も形もない匂いだけを賞翫(しょうがん)するということは、五官のうちではもっとも原始的な行為であり、直接官能を刺戟するものであったのは、源氏物語などを読んでもわかることである」


「花に托(たく)して『昔』を偲び、『昔の人』を想ったのも、匂いというものが人の記憶を蘇らせるのに麻薬的な効果をもっていたことを示している」


「それは必然的に人間の容姿や風情の形容にまで及んだが、匂いが匂いの中に止まっているうちはよかったが、やがて『香道』となって成立すると、連歌などの影響をうけて、香りを当てる競争もしくは賭け事になっていった」


「香道には実に3百種にも及ぶ遊び方があり、源氏香だの競馬香だの玩具のような道具を用いて勝負を決するといったような、およそ王朝のみやびとは似ても似つかぬ遊戯に堕したのである」


「周知のとおり、香は嗅ぐといわずに聞くという。この言葉は、香の香たる所以をまことによく言いあてている表現で、人は香りの向こう側に、この世のものならぬ声を聞き、空想の世界に我と我身を没入していたに違いない」


「両親の交際相手が松方一族や、三井・三菱関係の大物たちであったから、私はとても貧乏な家に生まれたと思いこんでいた」
注釈:白洲正子は東京の永田町の立派な家で生まれ育っている


「人間は模倣にはじまり、模倣によって育つ。どんな天才でも、いや、天才なればこそすすんで模倣することを恐れない」


「特に私の興味をひいたのは、山窩(さんか)の『箕作り』であった。精悍な顔のおじいさんが、寒中になるとやって来て、一年分の箕や竹籠を作ってくれた」
出典『鶴川日記』
注釈:白洲夫妻は戦時中に鶴川に疎開した。その家にサンカの人がちょくちょく来たという


「山窩の本拠は、丹沢山の奥にあるらしい」


「日本の文化は、たとえば芸能でも、手工芸でも、かくれた山びとの手によって発達したものが多いが、そういう技術はぜひ残しておいてほしいと思う」


「私が楽しみにしていた『箕作り』の来訪も、戦後2、3年で途絶えてしまった」


「室町時代の能は舞踏である」


経歴(プロフィール)
■白洲正子(しらす・まさこ)
【1910年~1998年】日本の随筆家。白洲は世阿弥と両性具有をライフワークとして多くの作品を著した。また、日本古典の再読、再評価によって後の研究者に影響を与えている。樺山資紀(海軍大将、伯爵)の孫。夫は白洲次郎(実業家、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた)。東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)で生まれる。学習院女子部初等科修了。ハートリッジ・スクール卒業。聖心語学校(現・聖心インターナショナルスクール)中退。著書『白洲正子著作集』(全7巻)『美の遍歴』『美しくなるにつれて若くなる』『美は匠にあり』『お能の見かた』『お能』『世阿弥-花と幽玄の世界』『たしなみについて』『私の百人一首』『花にもの思う春 白洲正子の新古今集』『お能・老木の花』『白洲正子自伝』など
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  1. 2017/08/23(水) 21:16:54|
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