名言格言

名言の王国へようこそ

                            【人名検索】調べたい人名で検索できます。収録人数3878。収録語録数20649(2017年3月30日現在)

佐藤尚武語録

佐藤尚武(駐ソビエト連邦大使)語録9件


※1945年7月20日、自ら起草した東郷茂徳外相宛の意見具申から抜粋


「満州事変以来日本は権道(けんどう)を踏みきたり大東亜戦にいたりてついに自己の力以上の大戦に突入せり」


「その結果いまや本州さえ蹂躙せられんとする危険に直面しもはや確たる成算なきにいたれる以上、早きに及んで決意し干戈(かんか)を収めて国家国民を救うこと為政家の責務なるを信ず」


「戦争終結の暁には国内各方面に徹底したる改革を施し一般政治を民衆化し官僚の跋扈(ばっこ)独善を排して、真に君民一如の実をあぐるに努めるを要すべく」


「満州事変以前よりあまりにも外交を軽侮し、国際関係に無頓着なりしことがすなわち今日の災いを招きたる原因なり」


「防共協定以来のわが対外政策は完全に破綻せり。ナチズムにくみして世界を枢軸、反枢軸の二勢力に分かちたることがそもそもの起こりにして、この過誤は将来にたいし明確に認識し外交政策の根本的建て直しをさすを必要とすべし」


「本使はもはや前途目的達成の望みなく、わずかに過去の情勢をもって抵抗を続けおる現状をすみやかに終止し、すでに互角の立ち場にあらずして無益に死地につかんとする幾十万の人命をつなぎ、もって国家滅亡の一歩前においてこれを食い止め7千万同胞を塗炭の苦より救い、民族の生存を保持せんことをのみ念願す」


「本使は政府のご所信に反するを知りつつ、あえてこの言を呈するものにして、その罪甚大なるを自認す」


「たとえこれがため本使は敗戦主義者をもって非難せらるるも、これを甘受すべきにより、いかなる責任に問わるるもつつしんでお受けすべきことを申し添ゆ」


「ただ一片憂国の微衷(びちゅう)本使を駆ってこの言をなさしめたるを諒とせられんことを請う。願わくば本使の言が寒心のあまりにいでたる基礎なき謬見(びゅうけん)に終わらんことを祈願してやまず」


出典『なぜ外務省はダメになったか(著者:村田良平)』(扶桑社)


■注釈
佐藤大使のモスクワから東郷外相に宛てたこの意見具申の日付は、1945年7月20日で、ポツダム宣言発出(7月26日)の前であり、もちろん広島、長崎に原爆が投下される前であり、ソ連の対日参戦の前でもあった

この日付で、日本は途を誤り、もはや降伏以外の途はなく、早期に戦争を終結させることを説き、その後の復興にも言及している

この意見具申は今顧みると、実に見識高く情勢を的確に判断していたといえる

戦後に、なぜ日本は無謀な戦争をして、国家滅亡の危機にまで追い込まれたのか。「空気の研究」(山本七平)、「失敗の本質」(共著)、「昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹)など優れた本が多く出版された

情報が貧困で、大本営のエリートは現場に積極的に出ることもせず、戦場の悪化を理解していなかった

また、勝てないと分かっていても、それを言いだせる空気がなく、非合理的と分かりつつも全軍突撃を敢行する以外の選択肢は却下された

そんな異常な空気の中、佐藤大使は敗戦主義者、売国奴と思われようと、どんな責任も受け入れる覚悟で、戦争終結以外に途はないと意見具申をした。燃えるような優国の思いにかられて、国家滅亡の一歩手前でなんとしても食い止めたいという気持ちがありありと伝わってくる意見具申である。この佐藤大使の思いが届かず、広島、長崎に原爆が投下されてしまったことは残念でならない


佐藤尚武(さとう・なおたけ)経歴(プロフィール)
【1882年~1971年】日本の外交官・政治家。外務大臣、駐ソビエト連邦特命全権大使。戦後には参議院議長等を歴任。1882年10月30日、大阪府で生まれる
スポンサーサイト
  1. 2016/12/31(土) 22:27:11|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<カルロス・ゴーン語録 | ホーム | 恩田陸語録>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://meigennooukoku.net/tb.php/4211-ed7c06ef
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)