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平清盛の妻

平清盛の最初の妻が高階基章(たかしなの・もとあき)の娘とされ、後妻が平時信の娘・時子である。


【高階基章(たかしなの・もとあき)の娘】
清盛の最初の妻が高階基章の娘とされる。父親の基章(もとあき)は正六位相当の官職である右近衛将監(うこんえのしょうげん)の地位に就いていたとするところから、身分はかなり低かったとされる。基章の娘と清盛の間には長男・重盛(しげもり)と次男・基盛(もともり)の二人の子供が生まれているが、二人を生んで以降の基章の娘の動向は全く伝えられていない。このため基盛を生んだ後、基章の娘が病没したとみる研究者もいる。


平時子(たいらの・ときこ)略歴
【1126年~1185年(大治元年~文治元年)】平清盛の継室。桓武平氏のうち高望王(たかもちおう)系の平清盛は、平家としては傍流だったため、嫡流の高棟王(たかむねおう)系から平時信の娘・時子を継室に迎えて支配基盤を広げた。清盛には平重盛や平基盛といった前妻との子がいたが、時子も平宗盛、平知盛、平重衡、平徳子を相次いで出産している。また、妹の滋子が後白河上皇とのあいだに出産した憲仁(のりひと)親王(高倉天皇)の乳母でもあった。「二位尼(にいのあま)」の名でも広く知られるが、それは清盛が大病を患った際に清盛に従って出家したあと、徳子の高倉天皇への入内により従二位へ叙せられたことに由来する。その後、嫡男の重盛が早死にし、徳子が皇子の言仁(ときひと)親王・安徳天皇をもうけたことなどから、宗盛を中心に時子の子らが平家一門を支える存在となっていく。最後は壇ノ浦の合戦で敗れ、安徳天皇を抱えて入水する。



関連サイト
平清盛関連資料一覧
http://bit.ly/zfxOTL
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  1. 2012/01/21(土) 21:33:45|
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