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アーネスト・サトウ語録

アーネスト・サトウ(英国の外交官)語録8件



「当時の私たちは一語も英語を知らぬその国の人間を相手にして勉強したのだ。文章の意味を知る方法は、小説家のポーの『黄金虫』の中の暗号文の判読について述べているのと、ほとんど同様のものであった」
出典:『一外交官の見た明治維新(上)』


「黒ダイヤのように光る大きな目玉をしているが、しゃべるときの微笑には何とも言い知れぬ親しみがあった」
注釈:西郷隆盛と面会した時の感想
出典:『一外交官の見た明治維新(上)』


「小松帯刀は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物で、家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず、政治的な才能があり、態度が人にすぐれ、それに友情が厚く、そんな点で人々に傑出していた」
出典:『一外交官の見た明治維新(上)』


「当時は一般の人々は時計を持たなかったし、また時間の厳守ということもなかったのである。二時に招かれたとしても、一時に行くこともあり、三時になることもあり、もっとおそく出かける場合もよくある」
出典:『一外交官の見た明治維新(下)』


「伊藤(博文)には、英語が話せるという大きな利点があった。これは、当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合にはきわめてまれにしか見られなかった教養であった」
出典:『一外交官の見た明治維新(下)』


「イギリスの議会制度は、京都における侍階級の指導者連中、ことに後藤象二郎などが大いに興味を持った問題であった。日本の新政府の基礎を代議制度の上におくことが、彼らの希望だったからである」
出典:『一外交官の見た明治維新(下)』


「結局江戸を政治の中心とし、その名を東京(トウキョウ)、すなわち東の都と改称することに決定したのだが、それには大久保(利通)の影響力が大きかったことを私は疑わない」
出典:『一外交官の見た明治維新(下)』


「勝(海舟)は、将軍家の崩壊以来、常にわれわれに政治情報を提供してくれた大いにありがたい人だった」
出典:『一外交官の見た明治維新(下)』


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アーネスト・サトウ経歴(プロフィール)
【1843年~1929年】イギリスの外交官。イギリス公使館の通訳、駐日公使、駐清公使を務め、イギリスにおける日本学の基礎を築いた。日本滞在は1862年から1883年(一時帰国を含む)と、駐日公使としての1895年から1900年までの間を併せると、計25年間になる。日本名は佐藤愛之助(または薩道愛之助)
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  1. 2015/08/28(金) 23:39:39|
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