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秦逸三語録

秦逸三(日本初の人造絹糸製造の成功者)語録全1件



「一年分の応用科学の予算を、僕が一人で使ってしまっても、校長(米澤高工の大竹校長)は何も言わなかった。同僚がなにかと言っても、校長は、かれらを抑えてくれた。あの人の情誼には、報いなければならない。僕の一生のあいだに、あのような立派な人に、そう出会うとは思われない。学校を辞めることは、情においてしのびないのだ」
注釈:久村清太に人絹工場は片手間でやれる仕事ではないので、学校を辞めろと言われた時の言葉。


参考文献:『久村清太(著者:丹羽文雄)』


関連サイト
トップページ(目次) http://bit.ly/1j4tg4M
開発者・技術者(日本)語録集 http://bit.ly/17kRPFH


秦逸三(はた・いつぞう)経歴(プロフィール)
【1880年~1944年】日本で初めて人造絹糸(レーヨン)製造に成功した科学者・実業家。帝国人造絹糸(現・帝人の前身)共同設立者。広島県生まれ。現・山形大学工学部教授となり、研究室でビスコース人造絹糸(レーヨン)製造に専念する。研究費の不足から鈴木商店の金子直吉の援助を請け、1915年に大学の同窓であった久村清太の協力で製造所を立ち上げた。1918年、帝国人造絹糸株式会社(後の帝人)が設立されると取締役となり、ついには工業化に成功、日本の人絹工学のパイオニアとなった。これは大学発のベンチャー企業の先駆けとも言われる。1934年、常務取締役第二帝人社長。1942年同社顧問。
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  1. 2014/06/29(日) 19:53:31|
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