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吉田松陰語録

吉田松陰語録全12件



「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」
訳:至誠をもって対すれば動かすことができないものはない
※松陰の有名な言葉となっているが孟子の言葉の引用である。


「志を持て、そして気力を養え。ただしそれだけでは学者にすぎない。旺盛な行動力を持って行動せよ」


「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置(とどめおか)まし大和魂」
注釈:獄中で記された遺書の留魂録(りゅうこんろく)にある辞世の歌。


「志を立ててもって万事の源となす」
訳:何事も志がなければならない。志を立てることが全ての源となる。


「天下才(てんかさい)なきに非(あら)ず、用(もち)ふる人なきのみ、哀しいかな」
訳:世間に才能のある人がいないのではない。それを用いる人がいないだけである。何とも悲しいことである。


「国家を治むるの要、民心を得るに在り。民心を得るの要、文徳を修むるに在り」
訳:国家を治める際のポイントは、国民の考えや気持ちを得ることにある。それを得るポイントは、学問を修めることによってそなわる人格を身につけることである。


「山は樹を以って茂り、国は人を以って盛(さかん)なりと」
訳:山は樹木をもって青々と茂り、国家は人物をもって盛んとなる。


「己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る。恐るるにたらず」
訳:自分に真の志があれば、無志は自ら引き下がるものだ。


「凡そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし」
訳:人として生まれてきた以上、動物とは違わなければならない。


「体は私なり、心は公なり公を役にして私に殉(したが)う者を小人と為す」
訳:私を使役して、道を行なうことを心がける者が大人であり、私の欲望を満足させる事を目的とするものは小人である。


「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」
訳:死んでも志が残るものであれば、いつでも死ねばよい。生きて大事を為せるならば、いつまでも生きてそれをやればよい。


「志専(こころざしもっぱ)らならずんば、業盛(ぎょうさかん)なること能(あた)はず」
訳:心に目指すものに集中しなければ、勉強や事業などを盛んにすることはできない。


関連サイト
幕末の志士語録集
http://bit.ly/zRORdP
偉人のエピソード逸話集 
http://bit.ly/xlkcNu


吉田松陰(よしだ・しょういん)経歴(プロフィール)
1830年~1859年(文政13年~安政6年)長州藩士、思想家、教育者、兵学者。萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。1854年、ペリー2度目の来航の際、長州藩足軽・金子重之助とともに密航計画を企てるも失敗、萩の野山獄に幽囚される。1855年、生家で預かりの身となるが、1857年、叔父の玉木文之進が開いていた私塾・松下村塾を引き受けて主宰者となり、高杉晋作をはじめ久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、維新の指導者となる人材を教え育てる。1858年、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中・間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して再び松陰を投獄。1859年、幕府の安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される。29歳で没。
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  1. 2011/12/24(土) 01:32:32|
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