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鮎川義介(日産コンツェルン創業者)語録

鮎川義介(日産コンツェルン創業者)語録全7件



「努力だけで過去の事業が成功してきたか、というとそうでない。やはりこれに運がプラ
スされている。しかし、努力のないところには絶対に幸運は来ない」


「古来事業をなすには、天の時、人の和といい伝えられているが、これを貫くに至誠をもってしなくては、事業の成功を期することはできない」


「社会の秩序を守る防波堤は、人間が約束を守ることである」


「人を非難する場合、お前がコレコレするのは甚(はなは)だ面白くないという批判家は沢山あるが、しかしそれならどうしたらよいかという対策を用意して、新切に教え得る識者は、千人に一人あるかないかである」


「君たちが、今の立場を恵まれた環境だなと思い込んでいたら、それはとんでもない錯覚だ。ありていにいえば、恵まれた環境ではなくて、甘やかされた環境なのだ。そういうところからは経営の厳しさは生まれてこない。第一、親爺が遺した仕事にしがみついて、二代も三代も、その仕事から利益を絞りとろうという考え方自体間違っている」
注釈:青年会議所に講師として招かれ、ある名門企業の社長から「われわれ先代からの余慶で、きわめて恵まれた環境にありますが、今後、この環境を土台にして、さらに飛躍発展するためには、どうしたらいいでしょうか」と質問されたときの答え。実に手厳しいが、独力でやりあげた鮎川だからこそいえる言葉である。


「わが国で成功している企業は一から十まで西欧の模倣によるもので、日本独創のものはなんら進歩のあとが認められない。高等教育を受けた者はみなバタ臭い方向に行って、みそ、しょう油をつくる仕事はいやしい仕事として敬遠されている。わたしはその不合理と不思議を心もとなく思った」
注釈:東大卒業後、芝浦製作所に入り、日曜日ごと弁当持参で70、80の工場を二年間で見学して得た結論。


「事業開始の機に乗じて詐欺師が現れることは、その事業がほんものだということを証明する」




※鮎川義介の家族(家系)
母親・・・明治の元勲井上馨の姪
妻・・・美代(高島屋創業家飯田二郎の長女
義理弟・・・久原房之助(久原財閥)


関連サイト
鮎川義介の知られざる逸話
http://bit.ly/AhIyDu


鮎川義介(あゆかわよしすけ)経歴(プロフィール)
1880年~1967年(明治13年~昭和42年)日産コンツェルン創業者。山口県山口市生まれ。明治36年、東京帝国大学工科大学機械工学科卒、芝浦製作所に職工として入社。明治43年、戸畑鋳物(現・日立金属)設立。昭和2年、久原財閥の再建を委託される。久原鉱業を公開持株会社日本産業に改組改称する。昭和8年、日産自動車設立。昭和18年、貴族院議員。昭和28年、参議院議員。87歳で没。
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  1. 2011/12/08(木) 18:51:32|
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