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中曽根康弘語録

中曽根康弘内閣総理大臣(第71・72・73代)語録11件



「敗戦時、私は国家的指導者ではなかったけれども、そのときの一国民として、日本の歴史に汚点を残したことを申し訳ないと思っていた」
出典『政治と人生(中曽根康弘回顧録)』


「『日本を再建し復興させることが、復員して祖国に帰った者の戦死者への償い』と決意して、私は政治家になったのである」
出典『政治と人生(中曽根康弘回顧録)』


「私の政治哲学は『政治家は実績であり、内閣は仕事である』ということであった」
出典『政治と人生(中曽根康弘回顧録)』


「しょせん政治家にとって政治とは、『いかに内閣をつくり、また内閣を倒すか』ということに帰着する。権力への攻防はすさまじいものがある」
出典『政治と人生(中曽根康弘回顧録)』


「政治がとどの詰まりは権力闘争にすぎないとしても、一方で政治には、常に学問的研究や科学的客観性、つまりアカデミズムの基礎がなければならない」
出典『政治と人生(中曽根康弘回顧録)』


「日本の政治には、『原敬日記』のように日記はあるが、自らペンを執った回顧録はきわめて少ない。これに対し、外国の有力政治家は、ほとんどが自叙伝や回顧録を残す。外国では、そのことが公に奉仕した者の世の中への責任として受けとめられているからであろう」
出典『政治と人生(中曽根康弘回顧録)』


「その政権が、どれだけのことができるかというのは、成立したときのスタートダッシュの勢いで決まるものなんです。困難だが重要な2、3の問題を、就任当初の短時日に片づけて、その実行力を国民や野党に示さなければならない」
注釈:第一次中曽根内閣発足時の決意表明。1982年、日本は大変な苦境に立たされていた。前首相の不用意な発言によって、日米関係は最悪な状態に陥り、国際的に孤立。国内の経済は6兆円の税収赤字を出し、深刻な不況を迎えていた。80年代に中曽根は約5年間の長期政権を築き、市場開放、規制緩和を断行し、国鉄、電電公社、たばこを民営化(現・JR、NTT、JT)。アメリカのレーガン大統領とは「ロン・ヤス」と呼び合う親密な関係を築き、日米関係を修復した


「大局さえ見失わなければ大いに妥協してよい」
注釈:若い頃、徳富蘇峰に教わった中曽根の人生訓


「真の政治家は時代時代の宿命を背負って行動し、時流におもねらず、国家百年の大計を自分自身の犠牲において断行し、その評価を後世の史家に託して消え去っていくのである」


「日本が、戦後の焼け野原から高度経済成長を果たしたのは、戦争へ行って帰ってきた復員軍人が政界、財界、学界に入り窮乏に耐えて何とか日本を復興しようとの一念に燃え、魂を奮い立たせ、渾身(こんしん)の力を振り絞って努力に努力を重ねてきたからである」


「政治家の資質の第一は歴史観です」


関連サイト
歴代総理大臣語録一覧
http://bit.ly/wBersx
中曽根康弘の知られざる逸話
http://bit.ly/yMvGNr


中曽根康弘(なかそね・やすひろ)経歴(プロフィール)
1918年~(大正7年~)内閣総理大臣(第71・72・73代)。政治家。衆議院議員連続20回当選(1947年~2003年)。群馬県高崎市末広町に生まれる。東京帝国大学法学部卒。内務省に入る。内務省を退職し、昭和22年、 衆議院議員総選挙で初当選。科学技術庁長官、運輸大臣、防衛庁長官、通商産業大臣、行政管理庁長官、内閣総理大臣などを歴任した
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  1. 2012/01/31(火) 21:33:41|
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