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太田垣士郎(関西電力初代社長)語録

太田垣士郎(関西電力初代社長)語録2件



危険をいかに克服するかに、手腕がかかっている
「どんな仕事にも危険は伴う。その危険率をできるだけ縮めて、かつ、いかにして克服するかという点に経営者としての手腕がかかっている。危険を恐れては経営はできない」


「4分の危険があっても、6分の可能性があれば私はやる」


注釈:昭和31年7月、関西電力が黒部川第四発電所(いわゆるクロヨン)の建設に着手した時のこと。日本アルプスの山脈をぶち抜いて建設資材の運搬道路(現・関電大町ルート)をつくり、そのうえで黒部川の上流部に世界最大級のアーチ式ダムを建設するという超ビックプロジェクトであったが、当時は無謀そのものの計画と非難された。事実この建設工事は大正7年に国家的プロジェクトとして立案されたものの、現実は不可能な難工事として38年間も凍結されていた。語録にあるようにこれに敢然と立ち向かったのが太田垣である。不退転の決意で挑み、昭和38年に完成へとこぎつけた。



関連サイト
太田垣士郎の秘話、エピソード
http://bit.ly/z3ACZN


太田垣士郎(おおたがきしろう)経歴(プロフィール)
1894年~1964年(明治27年~昭和39年)関西電力初代社長。兵庫県城崎町(現・豊岡市)生まれ。京都帝大経済学部卒。日本信託を経て阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)に入社。小林一三の片腕として活躍し、昭和21年に社長。昭和26年九電力体制発足とともに関西電力初代社長に就任。昭和34年会長。関西経営者協会会長、関西経済連合会会長等を歴任。70歳で没。
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  1. 2011/11/11(金) 08:20:30|
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