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高橋是清語録集(人生編)

高橋是清内閣総理大臣(20代)語録集(人生編)全3件



「栄枯盛衰は人生の常である。順境は、いつまでも続くものではなく、逆境も、心の持ちよう一つで、これを転じて順境たらしめることも出来る。逆境の順境は、心の構え方一つで、どうにでも変化するものである」


「人間がこの世に生を受けた以上、自分のことは自分で処分し始末すべきである」


「他任に依頼し、その助力を仰ぐのは、自己の死滅であると、私は信じている」




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歴代総理大臣語録一覧
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高橋是清語録他
経済編 http://bit.ly/yzpYml
仕事編 http://bit.ly/x82u3I

高橋是清の知られざる逸話
http://bit.ly/w0vemP


高橋是清(たかはしこれきよ)経歴(プロフィール)
1854年~1936年(安政元年~昭和11年)日銀総裁、大蔵大臣、内閣総理大臣(20代)歴任。江戸生まれ。1875年、東京英語学校教師となる。1881年、農商務省工務局に入る。1892年、日銀に入る。1911年、日銀総裁となる。1913年、大蔵大臣、1921年、第20代内閣総理大臣。総理大臣辞職後も農商務相、大蔵大臣を歴任。1936年、2・26事件。赤坂の私邸で反乱軍の襲撃を受け、青年将校に射殺される。83歳で没。

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  1. 2012/02/01(水) 14:46:40|
  2. 高橋是清(元総理大臣)語録集
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高橋是清(第20代内閣総理大臣)語録集(仕事編)

高橋是清(第20代内閣総理大臣)語録集(仕事編)全8件




「仕事を本位とする以上は、その仕事がどんなであろうとも、いかに賤しく、いかに簡単であろうとも、ただ一心になって、それを努めるばかりである。こうすれば、どこにも不平の起こるべき原因がない。よい地位に昇ったからとて、われを忘れて欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するはずもなければ、また、その地位が下がったからとて、失望落担することもないはずだ」


「不平を起こすぐらいなら、サラリーマンたる己れを廃業して独立するがよい。独立してやれば、成敗いずれにせよ、何事も自分の力量一杯であるから、不平も起こらぬだろう。けれども、この独立ができないならば、不平は言わないことだ」


「百貫の力量あるものが、常に百貫の全力を一杯に用いることは誤りである。よろしく七十貫の力を常に用いて、余りの三十貫は貯蓄しておくべきである。こうすれば、一朝事があった場合には、百二十貫の力を出すことも出来よう」
注釈:俺がなんでこんな仕事をしなければいけないのだと思うのではなく、むしろチャンスと思い余力を残して来るべきポストに就いた時のために備えておけと、自らの体験から述べている。


ペルー銀山で失敗し浪人の身となった是清に数々のポストが舞い込んできたが・・・
「これまで私が官途についたのは、衣食のためにしたのではない。今日までは何時でも官を辞して差支えないだけの用意があったのである。従って、上官が間違っていて正しくないと思ったときは、敢然これと議論して憚るところがなかった。しかるにいまや、私は衣食のために苦慮せねばならぬ身分となっている。到底、以前のように精神的に国家に尽くすことができない」
注釈:是清は浪人中で生活するにも困っていた。北海道庁に勤めないか、群長はどうか、県知事はどうかと色んな話が持ち込まれてきたが、これらの話を上の理由により全部断ってしまう。


ペルー銀山で失敗し浪人の身となった是清に今度は日銀総裁が山陽電鉄の社長のポストはどうかと言ってきたが・・・
「ペルーの銀山で失敗し、ヤマ師とまで言われかねない経歴を持った人間を社長にして下さるお気持ちは大変うれしい。しかし、もし私が社長として失敗したら、天下の日銀総裁がその不明を恥じることにもなります。私は鉄道の社長など自信がありませんし、自信がないことは良心が許しません。私は自惚れを捨てたところから出発したいと思っています。どうか、丁稚小僧からやれる仕事を探していただきたい」
注釈:日本銀行の第3代総裁の川田が浪人中の高橋の高潔な人物を評価し、ちょうど空席だった山陽鉄道の社長のポストを差し出す。当時の山陽鉄道の社長は今のJR西日本よりもはるかに大きい会社の社長といってもいいであろう。しかしこの話も高橋は断ってしまう。


「そんなことはありません。喜んで辰野さんの下で働きます」
注釈:川田総裁はますます是清が気に入り、「ではワシのところで玄関番をやってみるか」とたたみかけるとようやく是清は「喜んでやらせていただきます」と答えた。そこで「日本銀行建築所主任」という端役ポストが用意された。しかし一つだけ問題があった。その建築事務所の所長は辰野金吾といい、以前是清が英語学校で英語を教えていた時の教え子である。川田は「教え子の下では、ちと、まずいかな」と問うた時の是清の返事が上の言葉である。是清はどこまでも無欲、恬淡で私欲のない男であった。


「もっと歳が若くて、先へ行ってご奉公できるというのなら別だが、ワシはもうこの年齢だ。いま、ご奉公しなければするときがない。ワシは最後のご奉公と思って入閣した・・・」
注釈:是清が最後の蔵相を引き受けたのは81歳の時。何故引き受けたのか側近に語った。


「学問は之(これ)を使ってこそ、始めて効用がある。世間の実情を観るに、学問を利用せず、却ってその奴隷となる人が少なくないようである」



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高橋是清(たかはしこれきよ)経歴(プロフィール)
1854年~1936年(安政元年~昭和11年)日銀総裁、大蔵大臣、第20代内閣総理大臣歴任。江戸生まれ。1875年、東京英語学校教師となる。1881年、農商務省工務局に入る。1892年、日銀に入る。1911年、日銀総裁となる。1913年、大蔵大臣、1921年、第20代内閣総理大臣。総理大臣辞職後も農商務相、大蔵大臣を歴任。1936年、2・26事件。赤坂の私邸で反乱軍の襲撃を受け、青年将校に射殺される。83歳で没。
  1. 2011/11/01(火) 17:58:56|
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高橋是清(第20代内閣総理大臣)語録集(経済編)

高橋是清(第20代内閣総理大臣)語録集(経済編)全4件




「経済発展には、これまでの武官重視から実業人重視に切り替えねばならない。それでなければとうてい、国力の充実、伸長はない」


「貿易の発展は、日本経済の発展と同一線上にある。ために、一時的な入超を恐れるのは愚そのもので、いまこそヨーロッパ市場を開拓すべきである。貿易が伸びることは経済発展に資することであり、輸出入均衡政策では発展はありえない」


「株金は、細く長く利殖を得ることを楽しまねばならぬ。ところが、わが国の株主にはさような観念がさらにない。はなはだしいのになると、借金までしても、株主になる。そして、一時の僥倖(ぎょうこう)によって利益を得ようとあせる。つまり、本当の株主ではない。これではまるで相場師と少しも違わない」
注釈:銀相場、米相場に手を出し失敗した是清は、身をもって失敗した体験に対して徹底的に相場、株のことを研究し、経済書も読み漁り勉強した。


「元来、米国人が金銭を尊ぶのは、わが輩の見るところによれば、金銭それ自体を尊ぶというのではなく、かの民族特有の、極めて強い、個人的独立心から来ているように思われる。彼らはいかなることがあっても、決して他の助力を仰がないという性格の国民である」



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高橋是清(たかはしこれきよ)経歴(プロフィール)
1854年~1936年(安政元年~昭和11年)日銀総裁、大蔵大臣、第20代内閣総理大臣歴任。江戸生まれ。1875年、東京英語学校教師となる。1881年、農商務省工務局に入る。1892年、日銀に入る。1911年、日銀総裁となる。1913年、大蔵大臣、1921年、第20代内閣総理大臣。総理大臣辞職後も農商務相、大蔵大臣を歴任。1936年、2・26事件。赤坂の私邸で反乱軍の襲撃を受け、青年将校に射殺される。83歳で没。
  1. 2011/11/01(火) 17:52:37|
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