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小林一三(阪急グループ創業者)語録集(人生編)

小林一三(阪急グループ創業者)語録集(人生編)全4件




「すべて八分目、この限度を守ってさえいれば、たとえ成功しても、調子に乗り過ぎて、失敗する憂はない。他人からそしられるような事がなくて済むと思う。私は、これが世渡りの最も大切な要諦であると信じている」


「世の中は変わる。非常な勢いで変わってゆくのであるから、どう変わるかを早く見通して、それに適応して行った人間が勝ちである」


運命は作るもの
「いずれの事業においても、会社組織でも、個人の仕事でも、大きくなる人、どこまでも発展する人、行き止まる人、縮こまる人、その運命は断じて偶然ではない」


「青年よ、独立せよ。大会社にあこがれるな。商売はいくらでもある。仕事はどこにでもある」


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偉人のエピソード逸話集
http://bit.ly/xLH35E
小林一三語録他
仕事編 http://bit.ly/yMvvrW
事業編 http://bit.ly/nLLc3k


小林一三(こばやしいちぞう)経歴(プロフィール)
1873年~1957年(明治6年~昭和32年)阪急グループ創業者。山梨県韮崎(にらさき)町(現・韮崎市)生まれ。慶応義塾卒。三井銀行(現三井住友銀行)を経て箕面(みのお)有馬電気軌道を創立し専務に就任。昭和2年阪急電鉄社長。昭和4年阪急百貨店、昭和7年東京宝塚劇場(のち東宝)を設立。昭和15年商工大臣、昭和20年戦災復興院総裁。84歳で没。著書「私の行き方」「私の生活信条」「小林一三全集」他。
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  1. 2011/10/25(火) 15:55:20|
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小林一三(阪急グループ創業者)語録集(仕事編)

小林一三(阪急グループ創業者)語録集(仕事編)全6件



「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」


「サラリーマンに限らず、社会生活において成功するには、その道でエキスパートになる事だ。ある一つの事について、どうしてもその人でなければならないという人間になることだ」


出世の道は信用を得ることである
「第一の条件は正直でなければならぬ。あの人には気を許すことができないと言われるようでは信用は得られぬ。第二の条件は礼儀を知っていることである。粗暴な言辞、荒っぽい動作では、これまた信用を得られない。第3の条件は物事を迅速、正確に処理する能力があるかどうかである。頼まれた仕事を催促されるようでは、やはり信用が得られない」


「人の欠点を探さず、長所を見ることです」


「己を捨てて人の為に働くのが却って向上、昇進の近道である」


情報の素は心掛けである
「北の方に工場を持ってしかも自分の家を北に設けるとはアホなことだ。南に住め。そして大阪の街を見て通るようにしなければ時勢に遅れてしまう」
注釈:司馬遼太郎ほど世の中の動きを敏感にキャッチしている人はいないと言われたが、司馬は英語も数学も物理もできず、外国の文献、雑誌も読まなかった。交友範囲もせまく、官公庁その他にニュースソースも持たなかった。余裕があるのに芦屋の六麓荘を敬遠し、中小企業と小売店の秘集する、中河内の八重に住み、毎日午後3時ごろ、一時間かけて散歩するのを常とした。要するに情報も素は心掛けである。



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事業編  http://bit.ly/nLLc3k
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小林一三(こばやしいちぞう)経歴(プロフィール)
1873年~1957年(明治6年~昭和32年)阪急グループ創業者。山梨県韮崎(にらさき)町(現・韮崎市)生まれ。慶応義塾卒。三井銀行(現三井住友銀行)を経て箕面(みのお)有馬電気軌道を創立し専務に就任。昭和2年阪急電鉄社長。昭和4年阪急百貨店、昭和7年東京宝塚劇場(のち東宝)を設立。昭和15年商工大臣、昭和20年戦災復興院総裁。84歳で没。著書「私の行き方」「私の生活信条」「小林一三全集」他。
  1. 2011/10/25(火) 15:46:51|
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小林一三(阪急グループ創業者)語録集(事業編)

小林一三(阪急グループ創業者)語録集(事業編)全7件



事業は十数年もの基礎工事から生まれる
「世間では僕の事業が片っ端から当たるのを見て、何か特別の事業哲学でもあるかのように言われる。だが、僕の事業は突如として現われたものではない。みんな十数年も研究している。僕の事業は十数年もの基礎工事があって、初めて生まれてくるのだ」


「世の中で、百歩先の見える人は変人扱いをされる。50歩先の見える人の多くは犠牲者になる。ただ、一歩先の見える人のみが成功者となるのだ。しかも、ただその一歩の違いに過ぎぬが、その手前の一歩さえ見えぬものは落伍者である」


「新事業の準備が充分にととのったら即突進すべし。一、二、三ではいけない。二は迷いである、自信のなさである」


「収支の裏付けがない仕事は絶対に着手しない。仕事を始める時に細密な予算を立てる」


「金がないから何もできないという人は、金があっても何もできない」


「初日の客も大切なお客様だ。おまえはお客様を何と心得ておるか!」
注釈:舞台の不出来を初日なのでと言い訳した支配人に、ステッキで机を激しく叩いて


大衆相手の事業の行き方
「およそ商売は安全に確実に行けば行くほど利が薄くなるのは決まりきっている。電鉄にしろ、百貨店、劇場にしろ、お客本位に安く売るように経営すれば、そううまい遺利のあるはずがない。ところが従来の興行のやり方を見るとほとんど水物商売で、当たればもうかるが当たらなければ夜逃げするという風であった。いわば相場を張るようなものであった」



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小林一三(こばやしいちぞう)経歴(プロフィール)
1873年~1957年(明治6年~昭和32年)阪急グループ創業者。山梨県韮崎(にらさき)町(現・韮崎市)生まれ。慶応義塾卒。三井銀行(現三井住友銀行)を経て箕面(みのお)有馬電気軌道を創立し専務に就任。昭和2年阪急電鉄社長。昭和4年阪急百貨店、昭和7年東京宝塚劇場(のち東宝)を設立。昭和15年商工大臣、昭和20年戦災復興院総裁。84歳で没。著書「私の行き方」「私の生活信条」「小林一三全集」他。



  1. 2011/09/15(木) 06:53:11|
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