名言格言

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エルヴィン・フォン・ベルツ語録

ベルツ(ドイツ帝国の医師)語録1件


「父に対する義務以上に強調されるのが忠義である。子供は母に添乳をしてもらいながら君主の名誉のために一身を犠牲に供した男女の物語をきかされる。こうした物語は一つの宗教であり、そして、自分の家系からそうした人を出した時、それについて語られると云うことはあらゆる家庭の誇りであり、名誉なのである。特に武士の子供は、自分の生命は自分自身のものでないという考えによって育てられる」
出典『死と日本人』



エルヴィン・フォン・ベルツ経歴(プロフィール)
【1849年~1913年】ドイツ帝国の医師で、明治時代に日本に招かれたお雇い外国人のひとり。滞日は29年に及ぶ。長年にわたり医学を教え、医学界の発展に尽くした。1849年1月13日、ヴュルテンベルク王国のビーティヒハイム・ビッシンゲンで生まれた。1905年、勲一等旭日大綬章を受章。64歳で死去。著書『ベルツの日記(上下)』『死と日本人』など
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  1. 2016/12/07(水) 05:48:45|
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後藤又兵衛語録

後藤基次(又兵衛)語録1件


「戦(いくさ)に負ける度毎(たびごと)に天窓(あたま)を剃(そ)らば、髪の長きことは永代有間敷(えいたいあるまじき)」

意訳:失敗ばかりにこだわるな

注釈:黒田如水の子、長政は難敵の宇都宮氏に敗れ、如水に叱られて頭を剃る。家来も次々と剃った。しかし又兵衛のみは、負ける度に剃っていたら、髪が伸びる暇がないと揶揄して、剃るのを拒否した。又兵衛は後に黒田家を去り、大坂夏の陣で戦死する



後藤基次(ごとう・もとつぐ)経歴(プロフィール)
【1560年~1615年】安土桃山時代から江戸時代初期の武将。通称は後藤又兵衛(ごとう・またべえ)。黒田氏、豊臣氏の家臣として仕えた。江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで豪傑な英雄として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた

※大坂の陣(おおさかのじん)は、江戸幕府と豊臣家(羽柴家)との間で行われた合戦
  1. 2016/12/06(火) 21:30:36|
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多和田葉子語録

多和田葉子(小説家)語録5件


「一度しかない人生、できれば複数の言語とともに生きたい」


「毎朝目が醒めるとまずドイツ語に向かう。それは冒険というより、工房の地道な作業に似ている」


「小説は小学生の頃から書いていた」


「中学に入って初めて英語の授業があり、英語が日本語と全く違う仕組みを持っていることに大きなショックを受けた」


「ドイツの読者は、わたくしが日本語で書いている作品は知らないし、日本語の読者はわたしのドイツ語作品を知らない。二人の作家が一つの身体の中に住んでいるようなものだった」


※出典『読売新聞(2016年12月6日)』


経歴(プロフィール)
多和田葉子(たわだ・ようこ)
日本の小説家、詩人、都留文科大学特任教授。1960年3月23日、東京都中野区で生まれ、国立市で育つ。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。ハンブルク大学大学院の修士課程を修了。著作はドイツ語でも20冊以上出版しており、フランス語訳、英訳、イタリア語、中国語などの翻訳も出している
  1. 2016/12/06(火) 08:26:11|
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中丸薫語録

中丸薫(国際政治評論家)語録9件


「少女の頃から、私は遥かなる海の彼方の国々への思いを馳せていました。日本がどういう国であるのかを知るためにも、他の国々のことを知りたい。私たちと同じ人間が暮らすすべての国々に、できることなら行ってみたい」
出典『中丸薫という生き方』


「世界の国々のために私は働きたい。中学生になるころの私は、いつかしら、そんな夢を抱いていました」
出典『中丸薫という生き方』


「私はここ数年、日本をくまなく歩いた。その経験から、「イスラエルの『失われた10支族』の一部は日本に来たのではないか」と思うようになった」
出典『闇の世界権力レポート』


「京都の松尾大社で『秦氏一族はユダヤ人だった』という話を聞くにいたり、直感が正しかったことを確信した」
出典『闇の世界権力レポート』


「秦氏は秦の始皇帝の末裔と言われているが、秦という名称の起源は、秦の始皇帝の秦ではなく、五胡(ごこ)十六国時代の匈奴(きょうど)の一派が建国した『秦』である。この秦が滅びた後、秦一族は財宝とともに、すでに同族がいた倭国に渡ったと言われ」
出典『闇の世界権力レポート』


「古来から宮殿を建造するときは必ず、一つだけ『秘密の間』を設ける習わしがあるといわれており、迎賓館のそれは『エジプトの間』と呼ばれ、通常はもちろん入室禁止である。そこには、まぎれもなくカゴメ紋、すなわちダビデの星が刻まれている。しかも一つではない。丸天井をはじめ玉座らしきものや壁など、あちこちにカゴメ紋がはっきりと刻まれているのだ」
出典『闇の世界とユダヤ人』


「世界をめぐって『世界平和・人類の心は一つ』を広めるという現在の仕事は、天から与えられた使命であると信じ、全力を尽くしてきた」
出典『日本が闇の権力に支配される日は近い』


「光の天使が世界人口の10%に達したとき、『百匹目の猿現象』によって、闇の政府たちの牛耳る世界は一変すると私は信じている」
出典『日本が闇の権力に支配される日は近い』


「私は湾岸戦争後、アメリカの空爆で廃墟と化したイラクをこの足で歩いた。サダム・フセイン大統領とも会って話を聞き、化学兵器で苦しむ市民の姿を目の当たりにしてきた」
出典『真実のともし火を消してはならない』



中丸薫(なかまる・かおる)経歴(プロフィール)
日本の国際政治評論家、ジャーナリスト。明治天皇の孫。1937年5月23日、中国で生まれる。1963年、コロンビア大学政治学部を経て、コロンビア大学「大学院国際政治学部」を卒業
  1. 2016/12/05(月) 19:45:10|
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竹中平蔵語録

竹中平蔵(経済学者)語録11件


「失われた10年を解消し経済の再生を果たすには、経済政策を根本的に変える必要があった。それが『構造改革』に他ならなかった」


「バブル崩壊後、日本には様々な変革が急がれていた。にもかかわらず、保身とリスク回避を優先する族議員・官僚主体の政策決定のために、必要な改革はことごとく先送りされた」


「強い政治リーダーの下で必要な改革を進め、日本を再生させる必要があることは、もはや明白だった」


「銀行問題というのは、これを監督する『当局』、つまり金融庁がすべてを握っている。不良債権がどうなっているのか、検査の結果がいいのか悪いのか、これは金融庁以外に誰も知ることができないのである。経済財政担当大臣であった私にも、検査結果の詳細は知る術がなかった」


「金融庁が絶対的な情報と権限を持ち、それ以外は、たとえ閣僚でも手だしのしようがなかったのである」


「新たに金融担当大臣の『兼務』を命じられた。このときから、いよいよ金融監督『当局』の大臣として、いわば不良債権問題の責任者として、銀行改革に取り組むことになった」


「返せない借入金とは、貸し手つまり銀行からみれば不良債権に他ならない。これが増加すると、銀行はそれ以上にリスクをとって新たに貸し出しを増やすことは困難になる」


「場合によっては、返せる余裕のある相手先から無理やりに返済させようとする。『貸し渋り』や『貸し剥がし』という表現は、このことを端的にしめしている」


「しばしば『銀行にだけ公的資金を使うのはけしからん』という批判が聞かれるが、政府は銀行のために公的資金を使うのではなく、決済システムという社会インフラを守るために資金を使うのである。これは、世界中で共有された認識である」


「自己資本に関しては、決定的に重要な一つの課題があった。それは『繰り延べ税金資産』の問題である」


「繰り延べ税金資産とは、銀行が不良債権を償却したにもかかわらず、税務上その損金参入が認められない場合に発生する」


※出典『構造改革の真実』


竹中平蔵(たけなかへいぞう)経歴(プロフィール)
日本の経済学者。1951年、和歌山県で生まれる。一橋大学経済学部卒業後、日本開発銀行に入行。ハーバード大学、ペンシルバニア大学客員研究員。慶應義塾大学総合政策学部教授。経済財政政策担当大臣、金融担当大臣・経済財政政策担当大臣を歴任。参議院議員当選、経済財政政策・郵政民営化担当大臣、総務大臣・郵政民営化担当大臣を歴任
  1. 2016/12/05(月) 19:15:13|
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