FC2ブログ

名言・語録・格言

名言の王国へようこそ

                            【人名検索】調べたい人名で検索できます。収録人数3977。収録語録数21921(2019年2月5日現在)

財部誠一語録

財部誠一 名言・語録6件
(ジャーナリスト)


「台湾に拠点をつくり、そこから中国へ輸出をすればチャイナリスクの大幅軽減につながるのではないかと、台湾は官民を挙げて日本に呼びかけている。日本企業誘致に俄然、力が入ってきた」


「地政学的な日本の優位性は、もはや論を俟たない。欧米のグローバル企業のあいだでは、世界で最もアグレッシブな地域・アジアの一員である日本が垂涎(すいぜん)の的になっている」


「ところが、肝心の日本自身がそれに気づいていない。あるいは知識として、そうした事情を認識してはいても、リアリティーのある理解に達していないことがままあった」


「日本の家電メーカーはお家芸のテレビで、それも最大市場である米国で、サムスンに完膚なきまでに叩きのめされている」


「『年収5倍でどうか』などと高額の報酬を持ちかけ、日本技術者を引き抜いてきたことは周知の事実。日本の先端技術を札束で取り込むサムスンの常套手段だ」


「もちろん、簡単に人材流出を許す日本企業のマネジメントこそが問題、との指摘もあるだろう」



経歴(プロフィール)
■財部誠一(たからべ・せいいち)
日本のジャーナリスト。1956年4月29日生まれ。東京都出身。慶應義塾大学法学部卒業、野村証券入社。3年後に退社して、出版社に勤務。さらに3年後にフリーライターとして活動を始める
スポンサーサイト
  1. 2019/02/16(土) 22:50:42|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

五百籏頭真語録

五百籏頭真 名言・語録8件
(政治外交史家)


「私は外交史や日米関係に関心を持ち、戦後日本の形成を研究してきた」


「『世界の中の日本』のあり方について時に政策提言もしてきた」


「『この地に地震はない』。安全神話にまどろんで、備えなく大自然の奇襲攻撃を受けた兵庫の地であった。電気も電話も切れ、県庁は昼近くまで情報ブラックアウトに陥った」


「政府に被災を伝えることもできず、自らの地に何が起こっているかすらも分からなかった」


「唯一生き残った幹線道路の国道2号線に車が殺到し、交通は麻痺、自衛隊もその日は被災地へ十分に入れなかった」


「『備えなし』こそが最大の問題であった」


「父が欧州滞在中に集めた貴重な書籍を神戸大学がまるごと購入し、『五百籏頭文庫』を図書館に設けた」


「淋しい日々の救いは、家にあった書物、少年少女名作シリーズだった。クオレ物語や、巌窟王、三銃士、二都物語、シャーロックホームズや怪盗ルパンなどを手に汗して読みふけった」


出典『日経新聞(私の履歴書)』


経歴(プロフィール)
■五百籏頭真(いおきべ・まこと)
日本の研究者。政治学者。歴史学者。専門は日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。神戸大学名誉教授。防衛大学校名誉教授。兵庫県立大学理事長。1943年12月16日、兵庫県西宮市の苦楽園口駅の近くで生まれる
  1. 2019/02/05(火) 07:34:01|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

石原邦夫語録

石原邦夫 名言・語録10件
(東京海上日動火災初代社長)


「保険は社会のインフラ」


「平凡なサラリーマンの歩みにも、ドキドキするような緊張の瞬間があり、ささやかな意地もある」


「真っ白な紙に自分の世界を書くのが書の魅力だ」


「母の実家は水戸徳川家の『奥右筆』だった。主に殿様や奥方の文書を代筆する仕事で、幕末は徳川斉昭公夫人に仕えていた」


「その縁もあり、子どものころから習字が好きだった」


「大学時代は楽しかった。友人と北海道、東北、四国を巡った貧乏旅行などで青春を謳歌した」


「1966年(昭和41年)、東京海上に入社した。最初の3ヶ月は、都内の新橋営業所に仮配属になった。新橋に行った新人は4人いた」


「昼休みは会議室のテーブルで卓球をした。営業社員はたいてい外に出ていて、残っているのは女性の職員ばかり。4人で代わりばんこにおやつを買い、彼女たちに配った」


「退社は午後4時。『さようなら』と言って外に出て、明るいうちから飲みにいった」


「何とものんびりした社会人生活のスタートだった」


経歴(プロフィール)
■石原邦夫(いしはら・くにお)
日本の経営者。東京海上ホールディングス及び東京海上日動火災保険の初代社長・会長や日本損害保険協会会長、経済同友会副代表幹事、三菱東京UFJ銀行取締役、経団連副会長、日米経済協議会会長、東京急行電鉄監査役などを歴任。旭日大綬章受章。1943年10月17日、旧満州新京市に生まれ、その後東京都へ転居。東京大学法学部法律学科卒業
  1. 2019/01/07(月) 07:08:06|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

茅陽一語録

茅陽一(工学者)名言・語録4件


「一つの専門技術に集中してそこで大きな業績をあげるというより、グローバルな大きな目標に向けた総合的な仕事をただ遮二無二に進めてきた人生だった」


「父は物理が専門のせいか原子力には関心が深く、私が大学生になったころ、当時原子力に関心を寄せる代議士として有名だった中曽根康弘氏が突然自宅に父を訪ねてきたことがあった。たまたま私が応対に出たら彼が『お父上はおられるか』と尋ね、私が『はい』と答えたところ、何と低い垣根をひとまたぎにし、そのままずかずか家に入ってきて父と話しあっていたことをよく覚えている」


「学生の中でひときわ論のたつ学生がいた。彼はただ反対という形ではなく、具体的な学生側の対応案を示すなど、かなり建設的な側面があったため記憶に強く残った。紛争後数年して彼の就職した企業に学生を見学に連れていったとき、彼が企業側の案内係として先頭にたって積極的に技術を紹介してくれた。やはり前向きの行動派だったのだなとうれしい思いをしたものだ。その彼が現在の経団連会長の中西宏明氏(日立製作所会長)である」
注釈:1968年から翌年にかけての東大紛争。茅は東大の若手教官だった。中西氏は東大生の頃からリーダーシップがあったようだ


「今でも会合などでときどき彼(中西宏明)と顔をあわすが、その発言は全体の議論のまとめに有効と考えられるものが多く、若いときから指導者となる性格があったな、とあらためて感ずる」


※出典『日経新聞(私の履歴書)』


経歴(プロフィール)
■茅陽一(かや・よういち)
日本の研究者。工学者。東京大学名誉教授。地球環境産業技術研究機構理事長。日本における地球温暖化問題の第一人者である。1934年5月18日生まれ。北海道出身。東京大学工学部電気工学科卒業。東京大学大学院博士課程修了
  1. 2018/12/09(日) 20:56:23|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

磯山友幸

磯山友幸 名言・語録9件
(経済ジャーナリスト)


「少子化の影響もあって、人手不足は深刻さを増している。東京オリンピック・パラリンピックに向けて景気が過熱すれば、さらに人手不足に拍車がかかるのは間違いない」


「企業にとっても、働き手にとっても、『働き方改革』が重要になる。今までの仕事の仕方を劇的に変えなければ長時間労働に拍車がかかり、過労死寸前まで働かざるを得なくなる」


「日本の運輸サービスは恐らく世界一利便性が高いし、小売店の営業時間は長く、飲食店のコストパフォーマンスも世界一高い」


「旅館やホテルも快適だが、価格は世界的に見ても驚くほど低価格だ。消費者にとっては何ともありがたい『価格破壊』が起きた業種である」


「こうした業界ではデフレ経済に対応するために企業努力によって価格が大きく下げられた。だが、その企業努力のしわ寄せは最終的にサービスを提供する働き手の過重労働へとつながっていった」


「『一生同じ会社で働く』ことは前提ではない」


「最も大きく変わるのが『ホワイトカラー』『会社員』と呼ばれる人たちの仕事の仕方だろう。9時に出社して18時まで同じ場所に全員が集まって働くスタイルは、19世紀以降の『工場労働』を前提とした働き方だった」


「今、それが急速な勢いで見直されている。『いつでもどこでも』働ける仕組みや、労働時間ではなく成果で評価される仕組みにシンパシーを覚える働き手が急速に増えている」


「仕事の中身自体が『決まった時間内に、決まった分量の作業をこなす』ものが激減し、よりクリエイティブな作業が増えているのだ」


※出典『2022年、「働き方」はこうなる』


経歴(プロフィール)
■磯山友幸(いそやま・ともゆき)
日本の経済ジャーナリスト。経済政策を中心に政・財・官を幅広く取材、各種メディアに執筆するほか、講演やテレビ出演、勉強会の主宰など幅広く活躍。1962年、東京で生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務める。2011年3月末で退社、独立
  1. 2018/11/20(火) 21:53:59|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ