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                            【人名検索】調べたい人名で検索できます。収録人数3957。収録語録数21700(2018年6月20日現在)

岡野あつこ語録

岡野あつこ語録9件    
(離婚カウンセラー)


「熟年離婚に限らず、私は離婚という選択肢を否定するつもりはありません。でも、私も経験してきたその選択は、そう容易なものではないことをよく理解していただきたいというのが、離婚経験者であり、数々のケースに触れてきた離婚カウンセラーとしての私の望みです」


「離婚するとどうなるのか、とりわけ、実生活が営んでいかれるのか。老後に向けて、経済的に窮しないことは、とても重要なファクターなのです」


「逆に言えば、経済的に窮地を迎える可能性がある場合には、離婚はしないほうがいいということなのです」


「多くの人は、離婚をしたとたんに経済的な窮地に陥る可能性があると思わなくてはなりません」


「若い時代なら、とりあえず実家に戻るというのが経済的なことを考えると、最も無難な方法と言えます。しかし、熟年層になっていると、そういう決断をできるケースは少ないでしょう」


「女の一生は、波乱万丈だからこそ強くなれるのです」


「モーパッサンの『女の一生』のように家族の犠牲になって悲惨な人生で終わることになるのか、愛に生きた宇野千代さんのように成長し続け、優しく美しい女性として一生を終えるのか、それはあなた次第なのです」


「私は、幼い頃から、負けん気が強くて、その上とても運がよかったので、今日までやってこられたのだと思います」


「人生はなにが起こるかわかりませんから、刻一刻と状況が変化していることも考慮しなくてはならないのです」


出典『妻のための熟年離婚とお金の話』


■注釈
離婚の最大のリスクは、経済的な窮地に陥ることだという。芸能人で離婚が多い理由の一つは、妻も経済的に独立しており、離婚しても生活に困らないということがあるだろう


経歴(プロフィール)
■岡野あつこ(おかの・あつこ)
日本の夫婦問題研究家、離婚カウンセラー、NPO法人日本家族問題相談連盟理事長。国際魅力学会副会長。1954年8月5日生まれ。埼玉県出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校、立命館大学産業社会学部(職業心理学専攻)卒業。新聞、雑誌などマスコミからも広く関心をもたれるプロフェッショナルなカウンセラーとして、恋愛、結婚、離婚など、人生における大きな問題について幅広いカウンセリングを行っている
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  1. 2018/06/20(水) 07:16:26|
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エドワード・ヒース語録

エドワード・ヒース語録5件
(イギリス首相)


「イギリスは、1267年に王から当時の実力者であった地主が権力を奪って以来、民主主義が続いているのです。その間、権力は、一部の地主から多くの地主へ、そして、実業家の手に移り、一般の人々の手に入ったのが19世紀で、20世紀になってほんとうの意味での民主主義が完成したのです」


「アメリカの民主主義について、私はイギリスへの反抗から始まったと考えています」


「つまり長い歴史をかけてつくりあげた民主主義ではなく、イギリス、あるいはヨーロッパ各地から、その国のやり方に不満をもつ人が新天地アメリカへ渡って自分たちなりの民主主義の国をつくったのです」


「日本は国際社会の中のあらゆる面で指導的立場に立たなければならない時代に来ています。ただ一つの例外は軍事力かもしれませんが」


「そんな時代になっているのにもかかわらず、日本は、指導者の役割を果たすことに躊躇しているように見受けられます」



経歴(プロフィール)
■サー・エドワード・リチャード・ジョージ・ヒース
【1916年~2005年】イギリスの政治家、庶民院議員、首相(在任期間、1970年から1974年)、保守党党首、指揮者。上流階級出身者が多い保守党においては、労働者階級出身のヒースは異色の存在であった。1916年7月9日、大工の息子として生まれる。オックスフォード大学卒業
  1. 2018/06/06(水) 21:33:23|
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阿刀田高語録

阿刀田高(小説家)語録9件


「読書の好きな人は、たいてい幼いときから本が好きである」


「読書は私の生涯を貫く貴重な営みだが、それをいつのまにか身につけたのは脳みその揺籃期(ようらんき)に言葉遊びに親しみ、言葉への関心を培ったからではないのか」


「私の家は言葉遊びをする家だった」


「音楽家や画家やアスリートは、その才能を早く発見されるだろうが、小説家は、私の場合は言葉への関心が大きかったような気がする」


「家は真言宗」


「敗戦を境にして大人たちの態度が180度変転したことをよく覚えている。このあいだまで軍国日本を称賛していた人が、急に民主主義者になったりして」


「この世の中、お金持ちになるのはむつかしいが、貧乏のほうはわりと簡単になれるものらしい」


「大病なんて罹(かか)らないほうがいいにきまっている。しかし私は肺結核で長い療養生活を送らなかったら、今とはべつな人生を歩んでいただろう」


「そしてもう一つ。特に意図したことではないが、無聊(ぶりょう)をかこつためにせっせと本を読んだ。これがすばらしかった」



経歴(プロフィール)
■阿刀田高(あとうだ・たかし)
日本の作家、小説家。「奇妙な味」の短編で知られる。2007年から2011年まで日本ペンクラブ会長を務めた。1935年1月13日、東京で生まれる。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。代表作『冷蔵庫より愛をこめて』『新トロイア物語』『獅子王アレクサンドロス』など。2009年、 旭日中綬章受勲
  1. 2018/06/06(水) 06:32:39|
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リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー語録

カレルギー(政治学者)語録7件


「宗教によっては、現世では大いに苦しめ、そのかわり来世は極楽だということを説きます。しかし、われわれにとっては現世の幸福というものがやはりいちばん大事なわけで、それをもたらすものでないといけない」


「宗教というものは、人間の現世の幸福というものをもたらすものでなければいけない」


「教えの中に魂の美しさを強調するものがないと、道徳心が下がってしまいます」


「日本人こそ、この最も高い精神的伝統の二つ、インドの仏教と中国の儒教を一つに結び合わせた唯一の民族です」


「日本人の道徳は、もともと宗教に由来するのではなく、むしろ魂の美しさこそ道徳だとの感情にもとづいたものです」


「これは影の薄くなっていく宗教にもとづくヨーロッパの道徳よりも健全だといえましょう」


「日本の近代文明は、ヨーロッパから非常に多くのものを受け取ってきたのですが、今度は日本が、ヨーロッパの直面する道徳的危機の克服に際し、その手助けをする日が、やがて近いうちに訪れるのではないかと思います」


経歴(プロフィール)
■リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー
【1894年~1972年】オーストリアの政治学者。地政学に造詣が深く、ジャーナリストとしての顔も持った。駐日公使の父と日本人の母の次男として東京に生まれる。ウィーン大学で哲学、近代史を学ぶ。多数の著作を残し、代表作は『パン・ヨーロッパ』(1923年)、『自由と人生』(1937年)など
  1. 2018/05/31(木) 07:45:09|
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モフタル・リアディ語録

モフタル・リアディ語録20件
(リッポー・グループ創業者)


「私はかつて銀行の経営者だった。青年時代にインドネシア独立運動に身を投じ、共産主義に傾倒した時期もある」


「私のビジネスの成功も危機も実はインドネシアのその時々の状況を映したものだ。私はときに時代の流れに先んじ、ときに時代の奔流に流されかけながら事業をつないできた」


「インドネシアは1949年12月末に独立の承認を勝ち取り、1950年から独立国家として正式に歩み出した。この国の独り立ちは私の独り立ちとぴたりと重なる」


「私は1929年5月、オランダ領東インドのジャワ島で生まれた。そのころインドネシアという名前の国はまだ存在していなかった」


「そのころ中国は戦乱の時代だった。南京に国民党政府があったとはいえ、実際は各地の軍閥がなお力を持っていた」


「福建省でも武装勢力がはびこり、北側の軍と南側の軍が押したり引いたりを繰り返していた」


「軍隊が近づけば村人は山に逃げた」


「山の墳墓のなかに隠れて軍隊がいなくなるのをじっと待った」


「夜になると出没する土匪(どひ)と呼ばれる強盗集団も恐ろしかった」


「祖母はいつもそばにいて危険から私を守ってくれた」


「祖母が私のそばにいるかぎり、だれひとりとして私を叱ろうとしなかったほどだ」


「あるとき祖母は私をお寺に連れていった。静寂に包まれたその場所で祖母は語り出した。『おまえのふるさとはこんなに美しいが、村人はみんなとても貧しい。村人が豊かになれるような能力を持っていないからだ。おまえは外国へ行って何かを身につけて帰っておいで。そして村のためになることをするのだよ』


「そのときの祖母の真剣な語り口は今でもはっきりとおぼえている。祖母は私に『孫よ、おまえは帰ってくるために家を出るのだよ』と言い聞かせた」


「もちろん子供の私には祖母の言葉の持つ意味は分らなかった。大きくなってからでさえ祖母の言葉の真意はつかめなかったが、『帰ってくるために家を出る』という言葉は脳裏に焼き付いた」


「中国から出国した華人華僑と呼ばれる人々は人とのつながりを大切にして生きた。とりわけ重視したのは血縁と地縁だ」


「知らない土地でよそ者の華人華僑が生き抜いていくためには、血のつながる者同士、故郷を同じくする者同士が助け合うほかなかったからだ」


「父は毎月のように興化の祖母のもとへとお金を送っていた。祖母が亡くなってからも故郷に戻った弟のために送金を続けた。家族の絆の強さを感じずにはいられない。同じふるさとを持つ人々とのつながりも強かった」


「日本軍の一般兵士には乱暴な人もいたと聞くが、私が出会った日本軍の将校はみんな礼儀正しかった。将校からは『君は漢字がかけるのかね』と聞かれたものだ。日本語はしゃべれなくとも漢字を使って将校らと筆談ができた」


「スハルト体制で民間企業の活動領域は広がった。新体制で急成長していたサリムグループと銀行ビジネスで組むことになった。総帥のスドノ・サリム(林紹良)は高等教育を受けていなかったが、優れた知性を備えていた。どの事業でもふさわしい人物を探し出し、その人物に委ねた」


「土地開発事業は土地を売るだけの不動産業者であってはならない。土地という資源をどう開発し、付加価値を増やすかに事業の本質がある。製造業でいえば土地は原材料であり、原材料を使って何を作り出すのかで価値が決まる。その価値を売るのだ」


経歴(プロフィール)
■モフタル・リアディ
インドネシアでリッポーという企業を創業し、アジアから米国に広がるグローバル企業に育て上げた。リッポー・グループはインドネシアの華人財閥では5指に入る。1929年5月12日、インドネシアで生まれる。中国名は李文正
  1. 2018/05/03(木) 06:12:33|
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