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名言格言

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                            【人名検索】調べたい人名で検索できます。収録人数3967。収録語録数21833(2018年8月13日現在)

竹内一正語録

竹内一正語録11件
(経営コンサルタント)


「天才だから偉業を成し遂げるのではなく、偉業を成し遂げた人を天才と称するのである。はじめの一歩を踏み出す時には、『天才』という看板はぶら下がってなどいない」


「幸之助がこの世を去った時、一代で築いた松下電器の売上は4兆円を超え、全世界160ヶ国で約20万人の従業員が働くまでに躍進していた」


「一代で松下電器を築いた幸之助の残した遺産は約2500億円と言われるが、流行のファンドや財テクで増やしたのではなく、その90%以上が本業からのものだ。生活はいたって質素で、ヒルズ族に代表される当節のセレブとは大きく違う」


「角型ランプは、幸之助の斬新なアイデアを製品とマーケティングに花開かせた結晶だった」


「幸之助の業績のすばらしさは会社の成長や売上高だけではない。『金儲け』を『哲学』に変えたことこそ一番の偉業と言うべきかもしれない」


「『商売は金儲けにすぎない』と下賤に見られていた時代に、『会社を経営するのはお金のためではなく社会を良くするためである』という使命を掲げた幸之助の経営理念は、それまでの社会通念を変えていく。幸之助は『経営は芸術である』とまで言って、身をもって証明していった」


「松下電器は、最盛期には約3万店の系列販売店を擁する強大な営業力を誇っていた」
注釈:3万店はセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートの合計店舗より多いという


「1950年(昭和25年)、松下電器は初めてクビ切りを行っている。幸之助が決断したその数は567人。中村改革における希望退職の従業員全体に対する割合は7%程度でしかなかったが、この時は、全従業員4438名の約13%に及ぶ、大変な事態だった」


「『失敗とは、成功するまえにあきらめることだ』と幸之助は言う」


「(VHSへの)決め手は部品点数であった。部品点数が少ないほうが安く作れると幸之助は考えたのだ」


「高橋荒太郎は、松下電器の経理制度を作り上げた人物である。それは単に会計帳簿を作るのではなく、経営を見る経理、つまり『経営経理』という考え方だった」


※出典『ジョブズVS松下幸之助』


経歴(プロフィール)
■竹内一正(たけうち・まさかず)
日本の経営コンサルタント、エンジニア、ビジネス書作家。徳島大学大学院工学研究科修了、米国ノースウェスタン大学客員研究員を経て、松下電器産業(後のパナソニック)にエンジニアとして入社。アップルコンピュータ社にてマーケティングにも携わる。日本ゲートウェイ(株)やメディアリング(株)の代表取締役などを歴任。1957年、岡山県で生まれる
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  1. 2018/08/12(日) 20:59:49|
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鳥養利三郎語録

鳥養利三郎語録7件
(電気工学者)


「政治、経済に関する研究所というものは、民間には一つもありません」


「わずかに満鉄(南満州鉄道株式会社)と、三菱の経済調査所が相当の資料を集めているだけで、そに以外には何もない」


「それじゃあ官立であるかというと、これも大学付属の研究所以外何もないのです。それをだれも不思議がらない」


「自然科学方面には官立の研究所が大学以外にもありますし、会社もみなやっております。ところが、政治、経済に関する方面のことは、必要があるのかないのか、いっこうそういうことは気がつかない」


「とにかく、政府も、政党も、国民もこの点には少しも意を用いていないものですからね。これをほうっておいたことが戦争に負けた原因でもあるし、戦後に混乱する原因でもあるのです」


「政治や経済はすぐ社会と接触するものであるにもかかわらず、どうも深く研究しようという人が乏しい」


「学生時代からとにかく今の世の中に流れている問題にのみ興味をもって、哲学的に、歴史的に究めていくということが乏しいのです。だから政治学とか行政学の研究が必要だということを痛感していないし、したがってそういう予算をつくらない」


※出典『松下幸之助発言集36巻(松下幸之助との対談)』


経歴(プロフィール)
■鳥養利三郎(とりがい・りさぶろう)
【1887年~1976年】日本の電気工学者。京都大学総長、京都大学名誉教授。黎明期の日本の電気工学界を支えた重鎮。従二位勲一等工学博士。京都市名誉市民。変圧器巻線の電位振動の研究で、英国電気学会の賞を受賞。戦後は日本の教育改革に大きな役割を果たした。日本学士院会員。文化功労者。1887年2月8日、徳島県で生まれた
  1. 2018/08/07(火) 20:49:25|
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ハイブロー武蔵語録

ハイブロー武蔵語録20件
(自己啓発作家)


「本を読む人は変る。本を読む人は成功する」


「本を読む人は顔も変る」


「本を読んでいる人は、顔に出る。話をすると、もっとわかる」


「何を買って、何を読んでいるかまでわかると、ほぼ、その人がどんな人かがわかる」


「本を読む人はちがう。何がちがうかというと変化する点がちがう。時間がたてばたつほど成長していく人である」


「目標のある人、夢のある人は読書をする。そして成功する人のほとんどが読書好きだ」


「おもしろくて役に立つ(ためになる)というのは、講談社の創業社長の野間清治のヴィジョンだった」


「本を買うことが大切である。本を買う人とは、すでに成功を手に入れたも同然の人である」


「とにかく本を買おう。買えば何倍もの見返りがある」


「本を買うこと。そうすれば何倍ものいや何万倍、何十万倍、何百万倍もの見返りがある」


「学校より読書が大切である」


「私は、人がどこの大学を出たとか、どこの高校を卒業したとかにはほとんど関心がない」


「関心があるのは、本を読む人かどうかである。あるいは、どんな本を読んできたかである」


「本好きはなべて前向きな人であり、向上心のある人、積極的な人だからである。何かしら人間としての機微を感じるのである」


「たまには古本屋をのぞこう。大きな発見もある」


「人はどこでも本を読める。勉強できる」


「成功は小さいことの積み重ねである。一冊の読書はその小さいことの一つである」


「人は思ったようにしかなれない。生きていけない。それを最も左右するのは読書である」


「人は一人で生きていけない。すべて他人様のお陰であることも忘れない生き方をしたい」


「希望の星を見つけよう。そしてその光を決して見失うな」


経歴(プロフィール)
■ハイブロー武蔵(はいぶろー・むさし)
ビジネスエッセイスト、自己啓発作家。読書論、ビジネス論、人生論、人間関係論、成功法則論を主なテーマとして活躍。海外ビジネスに携わった後、数社の会社を経営した経歴を持つ。1954年、福岡県で生まれた。早稲田大学法学部卒業
  1. 2018/08/04(土) 22:40:16|
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二代目中村吉右衛門語録

二代目中村吉右衛門語録12件
(歌舞伎役者)


「一生修行、毎日初日」


「初代吉右衛門は『一生修行、毎日初日』と口癖のように唱えていたといいます。同じ役をひと月演じても、毎日初日のような気持ちで演じなさい、そのために一生修行しなさい。役者にとっては毎日のことであってもお客様にとってはその日限りなのです」


「終戦直後に進駐軍は、歌舞伎が日本人の封建的忠誠心を助長するとして、仇討ち物を中心に時代物の多くを上演中止にします」


「歌舞伎存亡の危機でした」


「それを救ったのが進駐軍の検閲担当だったフォービアン・バワーズという将校さんでした」


「上層部にかけあって上演解禁に尽力してくれた歌舞伎の恩人です」


「バワーズさんは戦前来日したとき歌舞伎をご覧になり、心酔したそうです」


「役者との付き合いもあり、日本人以上に歌舞伎を大切に思っていたといっても過言ではありません」


「私が九段下の暁星小学校に2年生で編入してすぐ、わが家は渋谷から麹町に引っ越しました。そこは六番町の初代の家の近くでした」


「養父の初代吉右衛門との共演は、1954年の4月、『佐倉義民伝』が最後でした」


「初代が演じた木内宗吾は江戸前期、年貢に苦しむお百姓さんを守るために命懸けで将軍に直訴して磔の刑に処せられたといわれる実在の庄屋さんです」


「お百姓さんの神様として祀られている人物で、私はその長男、彦七役でした」


経歴(プロフィール)
■二代目中村吉右衛門(なかむら・きちえもん)
日本の歌舞伎役者。歌舞伎名跡「中村吉右衛門」の当代。屋号は播磨屋、定紋は揚羽蝶、替紋は村山片喰。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。1944年5月22日生まれ。東京都千代田区出身。暁星高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科中退
  1. 2018/07/11(水) 06:41:06|
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天木直人語録

天木直人(外交評論家)語録11件


「出先の大使が、本国政府に向けてわが国のあるべき外交政策について意見を申し進めることを、外務省用語で『意見具申する』という」


「大使たる者の有るべき姿とは、現地の事情に精通し、現地の要人と太い人脈を構築することで的確な情勢判断を行い、取るべき政策を本国政府に進言することにある」


「本国政府の訓令を言いなりになって執行するだけなら、大使は不要である」


「公電を送る際には、AからEまでランク分けして送ることになっている。首相、外務大臣にまで届けてほしい場合はA指定、外務次官ならB指定、局長がCで、課長がD、E指定なら担当官どまりだ」


「本省はA指定で公電が送られてくることを嫌っている。受け取る側の電信課が注意を怠れば、外務省を素通りして官邸に公電が届いてしまう恐れがあるからだ」


「官邸の機密費は、マスコミに対する工作費や懐柔費として使われていたことも明らかにされた。だからマスコミは政府・外務省を本気で追求できないのだ。これでは国をあげて犯罪を闇に葬っているようなものである」


「もう一つの大きな問題は、外務省機密費が官邸に上納されていたという厳然たる事実を、政府関係者が徹底的に否定し続けたという欺瞞である」


「そもそも『上納』は、佐藤栄作政権にその端を発している。1960年代半ば、日本と韓国の国交樹立に向けて日韓交渉がヤマ場を迎えていた頃、官邸が用意していた機密費が底をついたので、佐藤首相が椎名悦三郎外相に命じて、外務省から内閣官房に融通させたのが上納の始まりと言われている」


「以来、外務省の報償費として予算化された機密費のうち、毎年20億円を内閣官房に環流されるのが慣例となった。関係者ならみな知っている」


「官房長官経験のある塩川正十郎財務相も、『やっていた』と口を滑らせた後、『忘れてしまった』ととぼけて見せた。旧大蔵省や会計検査院も知らないはずがないのだ」


「官僚組織の内側から官僚を観察してきた者として断言できることは、今日の日本に、国民のため、国家のために役立とうという高い志を持った官僚は皆無であるということだ」


経歴(プロフィール)
■天木直人(あまき・なおと)
日本の外交官。駐レバノン日本国特命全権大使。外交評論家、作家、政治運動家。インターネット政党の新党憲法9条の発起人。著書『マンデラの南アフリカ共和国南ア 日本の対応』『さらば外務省! 私は小泉首相と売国官僚を許さない』『怒れ、9条!- 憲法9条こそ最強の安全保障政策だ』など。1947年7月19日、山口県下関市で生まれる
  1. 2018/07/09(月) 22:34:54|
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