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名言・語録・格言

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池田政次郎語録

池田政次郎の名言・語録2件
(ジャーナリスト)


「豊田市はその昔『挙母(ころも)』といって、奥三河地方におけるマユの集散地として開けた町です。また徳川家康の松平一族発祥の地ともいわれ、昭和10年にトヨタの自動車工場ができるまでは全くの田舎でした。なんでも今の本社工場のある地区は『挙母ヶ原』といって、狐や猪が走り回る不毛の地であったといいます」


「大正9年に石川島造船所入社以来、土光氏は実に『45年間、無遅刻・無欠勤』という、サラリーマンとしては前人未踏の大記録を遺しています。45年間といっても、それはあくまで出勤簿に記されたデータであり、重役になってからの戦中、戦後のドサクサ時代、さらにその後の社長時代をみても、土光氏自身『休んだという記憶はまったくない』というのだから、これはもう化け物じみている」 

【注釈】土光氏とは土光敏夫(石川島造船所社長、東芝社長、経団連会長歴任)のこと



【出典】
『商魂石田退三・土光敏夫・松下幸之助に学ぶ』


【感想・論評・補足】
挙母(ころも)が徳川家康の松平一族発祥の地とは知らなかった。また池田政次郎は土光敏夫の取材もしているので、土光さんのことにも詳しい


経歴(プロフィール)
■池田政次郎(いけだ・せいじろう)
日本のジャーナリスト。経済記者。講談社『週刊現代』ビジネス担当記者。産経新聞客員記者。1941年、高知市で生まれた
  1. 2021/01/17(日) 23:37:22|
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諏内えみ語録

諏内えみの名言・語録8件
(マナー講師)


「『育ち』は、変えられます。変えていいのです」


「『育ち』は、自分でつくるものなのですから」


「『育ち』とは、その方の佇まいのこと。所作やふるまいを、知っているかいないかだけのこと。さらに言えば、『知ろうとしているか、いないか』だけの差にすぎないのです」


「『育ちの良さ』は、良い家に生まれ、そこでしつけられない限り、知ることも、身につけることもできないと多くの方が思い込んでいます。しかし、知ることさえできれば、どなたにでも身につけていただけます」


「『育ちの良さ』とは、一度身につけたら失うことのない一生の財産です。『育ちの良さ』とは、美しさを凌ぐ一生の武器となります」


「レストランや結婚式など、フォーマルな場ではハンドバッグを持つことが女性のたしなみです。ヨーロッパの王室や日本の皇室の女性たちの装いを見ても、公式の場では常に小さなバッグをお持ちになっていることがわかります」


「ホテルマンは、時計や靴でお客様のランクを判断すると言われていますね。実際、私がインタビューした何名かのホテルマンも同様のお答えでした。チェックイン時には、きちんとジャケットくらいは羽織っていたいものですね」


「ナイフを置くときは、刃は必ず内側に向けます。ヨーロッパではナイフの刃を外側に向けるのは、何よりも失礼に取られます。また、食事が終わったあとはフォークを仰向けにするなど、基本的なことをわかっていない方も意外と多いので、基本マナーはしっかり心得ておきましょう」


【出典】
『「育ちがいい人」だけが知っていること』


【感想・論評・補足】
育ちの良さは変えられる。知ることが出来れば、身につけることが出来る。なんと勇気づけられる言葉であろう


経歴(プロフィール)
■諏内えみ(すない・えみ)
「マナースクール ライビウム」代表。上場企業トップ陣のメディアトレーニングや、VIPアテンダント養成などの指導を経て、「マナースクール ライビウム」を設立した
  1. 2021/01/15(金) 21:43:20|
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川上徹也語録

川上徹也の名言・語録5件
(松下電器副社長、財務担当CFO)


「松下幸之助創業者の大切な教えの一つに『経営はお金だ』という考え方がある」


「創業者は常に、『お金大事』の経営を説いた。現代風に言えば、それは会計上の『利益』ではなく、実際に手元にある『キャッシュ(現金)』を大切にする経営の意味だ。今でいう『キャッシュフロー経営』を、創業者はとっくの昔から実践していたのだ」


「創業者は『経営はお金』と言われた。いつの時代でも、経営の軸はB/S(バランスシート)でなければならない。資金を貯めるには多大の労力と長い時間がかかるが、使うのはあっという間である。グローバル経営に欠かせないM&Aなどを実行する時の買収のやり方、売却の方法など、企業内にそうした力を養っておかないといけない。トップがお金の価値を改めて再認識して、キャッシュフロー最大化に向け、戦略立案を図ることが大切である」


「1960年代後半から1973年まで、松下は日本の高度経済成長とともに成長を続け、その後も右肩上がりに業績を伸ばし続けた。1980年代後半からは、家庭用ビデオという『お化け商品』が登場した。またいわゆる『VHS』対『ベータマックス』の規格戦争で松下が採用するVHSが勝利し、15年間で約10兆円以上の売り上げと2兆円以上の利益を稼ぎ出した。これ以上の商品は、それまでの家電製品にはなかったし、これからも出てこないだろう」


「創業者の『不況克服の心得』を、2001年大赤字になったころよく読んだ。この教えを思い出し、何度もくじけそうになる心を奮い立たせたと記憶している」


【出典】
『女房役の心得 松下幸之助お金の『教科書』日本経済出版社


【感想・論評・補足】
松下幸之助はバランスシートを見ると、担当者に『現金はいくら増えたのか?』と追求。売り上げや利益が増えても満足せず、キャッシュフローという本質に焦点をあて、常に現金回収・現金支払いの原則に徹底的にこだわり続けたという。また家電の黄金期は昭和30年代である。昭和50年代は成熟産業とも言われたが、家庭用ビデオが空前の『お化け商品』だったとは意外である


経歴(プロフィール)
■川上徹也(かわかみ・てつや)
松下電器産業副社長。財務担当役員(CFO)。松下経理大学(現パナソニック株式会社経理大学)学長。日本CFO協会理事。財団法人松下政経塾監事。1965年4月、松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)に入社
  1. 2021/01/09(土) 23:35:20|
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藤尾津与次語録

藤尾津与次の名言・語録3件
(松下電器の流通網を作りあげた男)


「その当時小売業者なり卸業者は、各自の判断で価格をつけて売るのが常識であったが、勢力のあるメーカーによっては『定価』といって、値段をつけて小売店に出している所もあった。しかし、『定価』というと何か値引きされるような印象を与える。そこで、販売業者における最も適正な利潤を含んだ価格であることを示そうということで、日本ではじめて、松下電器において『正価』ということが行われたのです」」
【注釈】その当時とは昭和7、8年頃


「すなわち、販売業者は絶対信用のある商品につけられた正価に対して、しっかりとした信念をもって、需要者に提供する。そうすれば、かけ引きなどに費やす無駄がはぶけ、一方需要者は値段に対する何のうたがいもなしに、マークを信用して、安心して買っていただくことができるわけで、このような正価販売こそ時代の要求に応じ、メーカー、卸売業者、小売業者、需要者の立場から、もっとも合理的な販売制度だったのです」


「しかし今の時代と違って、この当時としては、一部の大メーカーを除いて、メーカーが価格を定めるなどということは、やり得なかったことでした。当時の松下電器製作所が、たいして大きなメーカーでもなく、従って市場に対して勢力を持っているというものでもなかったにもかかわらず、業界の安定を目指して『正価販売』という改革を行ったことは、相当な決意と、販売制度の進んでいることを示すものであり、当時の業界発展の基礎を形成したということで、世間の注目を集めたのです」


【出典】『社史資料No1』


【感想・論評・補足】
松下幸之助が『正価販売』を断行したのは、メーカー、卸売業者、小売業者、需要者の立場から、安定的に電器製品を流通させるためのものであったことが分かる。しかし、戦後に流通革命を旗頭にスーパーマーケットを展開したダイエーの創業者、中内功と価格の決め方で衝突することになる。いわゆる松下電器とダイエーの30年戦争である。松下は共存共栄、業界全体の安定を考えたのに対して、中内は消費者、小売業者を第一に考えたため2人は最後まで和解することはなかった。結果的には、ダイエーは倒産する。業界全体の共存共栄を目指した松下の方が正しかったといえようか。


経歴(プロフィール)
■藤尾津与次
藤尾は松下電器の完璧な流通網をつくりあげた。松下電器の取締役、常務、専務を歴任した
  1. 2021/01/05(火) 23:43:57|
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大西宏(松下流通研修所代表)語録

大西宏の名言・語録3件
(松下流通研修所代表)


「私が松下幸之助のことを思い出すとき、いちばん心に焼きついているイメージは、会議のときも対話のときも、あたかも座禅のような姿勢で、あの兎のように大きな耳をたてて、微動だにせずものすごい集中力で人の話に没入する姿である」


「幸之助のもとでは、『社会に役立つこと』『お客様が第一であること』『利益は報酬であること』は至上命令であり、片時もおろそかにすることは許されなかった」


「『幸之助は、松下電器がまだ、ソケットや乾電池、自転車用ランプ、ラジオが主力のとき、次のような通達を出している。『製品には親切味、情味、奥ゆかしさ、暖かみ、ゆとりの多分に含まれたものをつくりだし、需要家に喜ばれることを根本の信念とすること』これでもかと並んだ5つのキーワードはいずれも、商品を単なるじょうぶで安いモノとしてではなく、こころを満足させるものとして、お客に届けなければならないと訴えている。しかもこの通達が出されたのは戦時中のことだった』



【出典】
『今、松下幸之助ならどうする?』


【感想・論評・補足】
大西は松下幸之助から直接指導を受けた最後の世代である。幸之助が戦時中も心のこもった製品をつくり、お客様に喜ばれることを信念としていたとは感動的なエピソードである


経歴(プロフィール)
■大西宏(おおにし・こう)
松下流通研修所代表。松下電器商学院長。企業コンサルタント。キャリアカンセラー。ビジネスパーソン研修。高校3年のとき、全国サッカー選手権大会のMFとして2位入賞を果す。1956年、大阪大学経済学部卒業。松下電器に入社。東京など5つの販売会社代表者として赤字経営の再建にあたる
  1. 2021/01/04(月) 23:03:58|
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