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名言・語録・格言

名言の王国へようこそ

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藤尾津与次語録

藤尾津与次の名言・語録3件
(松下電器の流通網を作りあげた男)


「その当時小売業者なり卸業者は、各自の判断で価格をつけて売るのが常識であったが、勢力のあるメーカーによっては『定価』といって、値段をつけて小売店に出している所もあった。しかし、『定価』というと何か値引きされるような印象を与える。そこで、販売業者における最も適正な利潤を含んだ価格であることを示そうということで、日本ではじめて、松下電器において『正価』ということが行われたのです」」
【注釈】その当時とは昭和7、8年頃


「すなわち、販売業者は絶対信用のある商品につけられた正価に対して、しっかりとした信念をもって、需要者に提供する。そうすれば、かけ引きなどに費やす無駄がはぶけ、一方需要者は値段に対する何のうたがいもなしに、マークを信用して、安心して買っていただくことができるわけで、このような正価販売こそ時代の要求に応じ、メーカー、卸売業者、小売業者、需要者の立場から、もっとも合理的な販売制度だったのです」


「しかし今の時代と違って、この当時としては、一部の大メーカーを除いて、メーカーが価格を定めるなどということは、やり得なかったことでした。当時の松下電器製作所が、たいして大きなメーカーでもなく、従って市場に対して勢力を持っているというものでもなかったにもかかわらず、業界の安定を目指して『正価販売』という改革を行ったことは、相当な決意と、販売制度の進んでいることを示すものであり、当時の業界発展の基礎を形成したということで、世間の注目を集めたのです」


【出典】『社史資料No1』


【感想・論評・補足】
松下幸之助が『正価販売』を断行したのは、メーカー、卸売業者、小売業者、需要者の立場から、安定的に電器製品を流通させるためのものであったことが分かる。しかし、戦後に流通革命を旗頭にスーパーマーケットを展開したダイエーの創業者、中内功と価格の決め方で衝突することになる。いわゆる松下電器とダイエーの30年戦争である。松下は共存共栄、業界全体の安定を考えたのに対して、中内は消費者、小売業者を第一に考えたため2人は最後まで和解することはなかった。結果的には、ダイエーは倒産する。業界全体の共存共栄を目指した松下の方が正しかったといえようか。


経歴(プロフィール)
■藤尾津与次
藤尾は松下電器の完璧な流通網をつくりあげた。松下電器の取締役、常務、専務を歴任した
  1. 2021/01/05(火) 23:43:57|
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大西宏(松下流通研修所代表)語録

大西宏の名言・語録3件
(松下流通研修所代表)


「私が松下幸之助のことを思い出すとき、いちばん心に焼きついているイメージは、会議のときも対話のときも、あたかも座禅のような姿勢で、あの兎のように大きな耳をたてて、微動だにせずものすごい集中力で人の話に没入する姿である」


「幸之助のもとでは、『社会に役立つこと』『お客様が第一であること』『利益は報酬であること』は至上命令であり、片時もおろそかにすることは許されなかった」


「『幸之助は、松下電器がまだ、ソケットや乾電池、自転車用ランプ、ラジオが主力のとき、次のような通達を出している。『製品には親切味、情味、奥ゆかしさ、暖かみ、ゆとりの多分に含まれたものをつくりだし、需要家に喜ばれることを根本の信念とすること』これでもかと並んだ5つのキーワードはいずれも、商品を単なるじょうぶで安いモノとしてではなく、こころを満足させるものとして、お客に届けなければならないと訴えている。しかもこの通達が出されたのは戦時中のことだった』



【出典】
『今、松下幸之助ならどうする?』


【感想・論評・補足】
大西は松下幸之助から直接指導を受けた最後の世代である。幸之助が戦時中も心のこもった製品をつくり、お客様に喜ばれることを信念としていたとは感動的なエピソードである


経歴(プロフィール)
■大西宏(おおにし・こう)
松下流通研修所代表。松下電器商学院長。企業コンサルタント。キャリアカンセラー。ビジネスパーソン研修。高校3年のとき、全国サッカー選手権大会のMFとして2位入賞を果す。1956年、大阪大学経済学部卒業。松下電器に入社。東京など5つの販売会社代表者として赤字経営の再建にあたる
  1. 2021/01/04(月) 23:03:58|
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作道洋太郎語録

作道洋太郎の名言・語録4件
(経営学者)


「江戸時代の商人の理想とするところは、伝統文化の中心地として繁栄した京都において本店を持ち、百万都市の江戸に店舗(出店)を構えるということであった。『江戸店持ち京商人』という言葉は、そのような商人の理想像を端的に言い現わしたものであった」
【注釈】『江戸店(たな)持ち京商人(あきんど)』


「伊勢松坂出身の三井家は、江戸において成功を収め、江戸後期の著作『世事見聞録』では、『日本一の大豪福』と呼ばれているが、その本拠は京都にあり、『江戸店持ち京商人』の典型であった」


「三井家では貞享3年(1686)に、その本拠を出身地の松坂から京都の新町六角下ルに移し、主要な活躍地であった江戸店や、その後元禄4年(1691)に開設した大坂店などを統轄した。それ以後、明治維新にいたるまで、その体制は変えなかった。最近の本社の東京移転の傾向とは違った動きを示していた。そのようなところに、上方の文化構造に深く根ざした江戸期商人の行動の原理をうかがうことができる」


「間宏氏は『日本における経営理念の展開』と題した論文において、『各企業で、社是や社訓をつくるようになったのは、日清、日露の両戦役をへて、日本資本主義が飛躍的に発展し、これに伴い、日本の企業が、ようやく創業期から安定期にはいって来たことによる』と述べ、社是・社訓の制定期を一般化し、経営理念の形成過程を明らかにしている」


【出典】
『関西企業経営史の研究』


【感想・論評・補足】
江戸時代においては、江戸は消費地であり、着物などの物の生産地は京都であったということもいえるだろう


経歴(プロフィール)
■作道洋太郎(さくどう・ようたろう)
【1923年~2005年】日本の経済学者、経営学者。専門は日本経済史・経営史。1923年9月23日、愛媛県松山市で生まれる。九州大学法文学部経済科を卒業。著書『関西企業経営史の研究』『近世日本貨幣史』『近世封建社会の貨幣金融構造』など
  1. 2021/01/03(日) 12:32:29|
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佐藤忠語録

佐藤忠の名言・語録11件
(松下電器東京広報部門創設)


「戦に人格が表れるように、経営には必ず最高トップの人格が表れる。まさに『経営は人格なり』としみじみ感じる」


「松下幸之助さんは、『人生や事業で最も大切なことは人情の機微を知ること』だとよく諭された」


「松下さんは『能力は60点あれば十分である。不足している分は熱意が補ってくれる』とよく話された」


「また松下さんは、『2階に上がりたいという熱意が梯子を考案したし、空を飛びたいという熱意が飛行機を開発した』とも言われた」


「松下幸之助さん時代の社員は『歩行煙草』は禁止されていた。松下さんは、『道路は灰皿ではない。歩きながら煙草を吸う者は吸い殻を道端に捨てる。そのために道路や軒先が汚れる。松下電器の社員は歩きながら煙草を吸ってはならない』と厳しく戒められた」


「また松下さんは、『松下電器には雑用という仕事はない。どんな仕事もみな大事なものである。大きな仕事もいい加減な気持ちですれば、それは雑用になる。どんな小さな仕事も手抜きをしてはならない。小さな仕事に命をかけるぐらいの気持が必要だ』と私たちを戒めた」


「また続けて、『松下電器には毎日、大勢のお客さまがお見えになる。たとえ乞食といえども大事なお客さまと思って、丁重におむかえするように心がけてほしい』と訴えられた」


「松下さんは、『給料や役員報酬はだれから戴いているかを忘れてはならない。給料は社長から戴いているのではなく、お客さまから戴いていることを片ときも忘れてはならない』と戒めた」


「『松下電器で働いている人はみな、人を見たらお客さまと思わなければならない』とも言われた」


「松下さんは、昭和30年代は、社長という重職のほかに自ら『PR本部長』を兼務されていたほどに、PRや広報の重要性を早くから認識していた」


「松下さんが相談役に退いた後、幹部対象の『経営研究会』の席上で松下さんが、『社員に夢と希望を与えられない社長は、それだけで失格である。過去、松下電器が成長発展を続けてきた要因は、社員が夢と希望を抱いて働き、苦労に耐えてきてくれたからである』と力強く訴えたことを、今も鮮明に記憶している」


【出典】
『無駄な社員は一人もいない』


経歴(プロフィール)
■佐藤忠(さとう・ただし)
昭和32年に松下電器産業に入社。松下幸之助氏時代に同社の広報部門の創設に尽力。日本で最も早く広報部門を確立して、同社のイメージ向上に多大に貢献した。1934年生まれ
  1. 2020/12/13(日) 23:23:29|
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合田周平語録

合田周平の名言・語録3件
(電気通信大学名誉教授)


「最近、武士道が注目されているが、天風の言葉にも、その精神に係わるものも多い。しかし、注意せねばならないのは、明治政府が軍隊組織のために捏造した、明治以降の『武士道』精神ではない」


「天風哲学のそれは、宮本武蔵『五輪書』を範とした、武士の思想であり、生活の信条である。この精神をベースに、インドのヨガの里における、艱難辛苦の修行の成果をブレンドし、さらにいくつかの思想や宗教を『打って一丸』として、心身一如を具現化する考え方と手法を集積したものである」


「わたしは、学生時代に天風から、武士道の基本として『五輪書』を読むことを薦められた。最近の武士道ブームによる、多くの関連書物のいくつかを読んで納得している。私利私欲を離れて、天風の言葉に触れるとき、あなた自身に潜在するファッションセンスが光り輝くに違いない」


【出典】
『ほんとうの心の力』中村天風


【感想・論評・補足】
明治以降の『武士道精神』が、明治政府が軍隊組織のために捏造したものだとは知らなかった。中村天風によると、宮本武蔵の『五輪書』を読むとほんとうの武士道の基本が分るらしい


経歴(プロフィール)
■合田周平(あいだ・しゅうへい)
日本の研究者。工学博士。電気通信大学・名誉教授。米国パターン認識学会賞、毎日出版文化賞などを受賞。叙勲イタリア共和国功労勲章。著書に『サイバネテックスの考え方』(講談社現代新書)『入門エコロジー 人間優位の科学』『中村天風リーダーの心得』(以上、実業之日本社)など。1932年、台北市で生まれる。電気通信大学を経て、カリフォルニア州立大学大学院(パークレー)にて工学修士
  1. 2020/12/09(水) 23:06:29|
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